囁き

重い話題は避けると言ったばかりなのに、まことに申し訳ないのですが…。

 

今年の夏ごろからでしょうか、耳に囁かれる声のなかに「殺人未遂」とか「殺人事件」という物騒な言葉が時折、断片として聞こえてきました。でも、自分に関係のあることではないだろう、何なんだろう…とは思っていました。

 

また、いくつかの日付がぐるぐると時折囁かれてきたのが、夏の終わりぐらいでしょうか。

 

今日になって、それが他の誰でもなく私が殺されることを指していることがわかってさすがに顔面蒼白になりました。

 

今日の午後、昨日の記事でちょっと触れた、将来についてのアイディアを少し詳しく書いていました。それはまだ下書きで保存しただけだったのですが、囁き声が「殺人未遂」と言い出して、「インターネット」「インターネット」と言ったのです。

 

何のことだかわかりませんでしたが、このブログの記事は「別人」によって、どういうかたちでかはわかりませんが(もちろんオカルト空間で)読まれているらしく、それに気づいた頃、書くのを止めた経緯があります。

 

ずいぶん深部のことを書いたりもしているのですが、今日のは明るいものを、と思って未来について書き出したわけですが、推測でしかありませんが、そういったものは「別人」の激しいジェラシーを掻き立てるだろうことを、囁きは警告したのだと思います。

 

蹂躙という言葉はよく使っていますが、暴力もとんでもないですが、まさか自分が殺されるとは。未遂なのでどの程度かは不明ですが、死ななくても外傷やら大変なことになるはずです。今は、オカルト空間でストーキングされているわけですが、現実でのストーカー殺人になってしまうわけです。

 

そうして、いくつかその日付をもらっているので、どこかへ避難すればよいのかといえば、どこへ逃げてもどうも同じのことのようです。ある種運命的な力といえばよいのか。信じられないような話ですが、囁きはハズしたことはほぼありません。殺人ではないかもしれませんが、私の顔が腫れて、ゾンビーのようになっている夢を見たことはあります。

 

それ以上詳しいことはわかりません。しかし、どうやって居所を知り、やってくるのかはわかりませんが、私が一人で暮していることは大きなリスクになるはずです。

 

「運命」はあっても、それは「超える」こともまたできるのではないかと私は思います。「別人」はおともだちと私のつながりに激しく嫉妬しているらしく、それにもともとの暴力性が拍車をかけての、「事件」ということになるのでしょう。まったくキチガイ沙汰とはこのことです。

 

こんな重い話の上にさらに言うのもためらわれるのですが、おともだちには、その意味で、来年中に再会できないものかと思うのです。最初の日付は2020年の初めですから、どうしても2019年のうちに再会したいのです。

 

私がおともだちと再会して絆ができてしまったら、諦めて離れていくような気がしますし、少なくとも、ただの他人の存在と異なって、大きな抑止力になるでしょうから、簡単に近づくこともできなくなるでしょう。

 

この「殺人未遂事件」は大きな分かれ道になると思うのです。おそらく、そこで私が「殺られ」れば、おともだちとの絆はもはや絶たれてしまうといったような…。傷から回復しても、私たちの道が交わることはないようです。それを思うと、胸が苦しくなりますが。こんな暴力は絶対に許せないし、乗り越えるつもりです。でも、生きて、元気な姿でおともだちに再会したい、それが私の願いです。

 

囁きは最後に、「忘れる人生」「与える人生」とぐるぐる歌っていました。いつまでも。