今年の梅雨は短いものだったけれど、ようやく梅雨が開けたと思ったら、急に高温度の日が続いている。夏はカッと暑い方が夏らしくて良いと思うので、それでも満足であるけど。
私が尋常ではない制約の多い暮らしを送っていることはここを読んでいればわかると思うけれど、ここ数日、いや1週間ぐらいか、夜にあれこれ問責されることが多く、そうして抗議したり、訂正したりすると、その言質を取られてまた逆襲されることが続いて、眠っているとそういう目に遭うので、睡眠を切り上げて、早めに起きることになってしまう。
おともだちとはここを介して細い糸で繋がっていることが私の心の支えになっているのだが、PC上にあるいろいろなメールのやりとりもアーカイヴされているはずなので、それも普段見ることはないけれど、いつでも開けられるということが心丈夫でもあった。
しかし、今日、16年にメールに添付されて送ってもらったニャンコさんの写真を探そうと、
メールを遡ってみたけれど、見当たらなくなっていた。PC自体は新しくなっていても、クラウドにアーカイヴされているはずだから、安心していたのだが。
13年のメールが最後になっていて、それ以前のいろいろなやりとりも消えていた。
しばらく前までは、メーラーを開けると、おともだちの最も古いメールがまず立ち上がるという不思議なことが、時々あったので、当然、残っているはずと思っていたのだが。
神か悪魔か、「見えざる手」がこういうことをするのがPCやネット上では起こることがあるようだ。
1ヶ月ほど前、禁じられているワインを飲んで、胡蝶蘭の最後まで残っていた小さな2葉のうちの一枚が遂に落葉した。もう黄変していたけれど、しっかり茎についていたのだが。残りはもう本当に小さな一枚である。
この花は19年の5月にいただいたもので、2度の引越しを経ても生きながらえて、17年の夏が最後に花をつけたのであったが、葉っぱだけになっても、一生懸命水やりをして、大事に育ててきた。
本当に不思議な花で、北国でまだ開花している時、引越しで大丈夫かしらと思っていたら、ハラハラとすぐに萎んだのであった。まるで耳を傾けているように。また、引越し業者が温度管理の関係でこの花は引き受けられないと言ったので、私が自分で梱包して、郵便で別便で送ったのが、14年。その後、4年も続けて開花したのだった。
ああ、でも葉だけになっても3鉢あった中の一つは、17年だったか、地元の、普段使わない銀行へ行ったことで、急に枯れてしまった。その銀行の前には、地元出身の力士の大きな看板が出ていたが、それが元凶らしかった。
私を害する「トーヘンボク」(と彼らが呼ぶところの)男が相撲好きという関係らしく、私の日常はそんな風にいろんなミスティックコードが複雑に絡み合って、残念なことが起こるのである。