今日三つ目の記事(先にひとつあります)

最初の記事の「夢のおうち」はおともだちのあの「おうち」と違う気がして削除しました。「おうち自体」は見えなかったのです。ただ、白い小さな花の咲く小径があるだけで、それも「消える」というものでしたから。

 

私はそれを儚い、おともだちとの未来と解釈したのですが、そのあとに、精神病院らしい、四角いコンクリートの中庭に、ねじくれた奇妙ないろんな木々が針金で地面にとめつけられている夢が続きました。

 

私はおともだちとの白い花の道と比較「対照」されているのだと思ったのですが、これは連続シーンで、実は「暴力男」の道だったのだと今思いました。あの「白い蝶」が偽物だったのと同じです。もしそうだったら、不用意にあんな夢を書いてごめんなさい。不愉快だったでしょう。本当にすみませんでした。

 

一昨日だったかも、子供のプレイエリアにある桜の大樹が銀色の雪のような花をいっぱいつけて、人々が集まっている夢がありました。すぐに消えたそれは「暴力男」の桜だとはすぐわかりましたが、小さな白い花はいかにも紛らわしいものです。

 

同様に、「黄色」(邪悪な色)の妹も今は「白い世界」を目指していて、旧い世界とおともだちとのあいだでいつまでも揺れている私に疲れて休んでいるところへ、白いギザギザの影、カーテンや大凧みたな覆いになって降りてきて包み込んで、慰めの言葉を耳打ちするという夢も昨日ありました。

 

おともだちの聖職者王というのも「白」と関係していて、正面は王冠をかぶった正教司祭の祭服、後ろ姿はやはり祭服で、矩形と三角を組み合わせたような、短いマンティラらしいものは「白」でした。三角は尖っているので、「刺す」とか「イーヴルネス」のようです。

 

結局、ここ(埼玉)では「今の時点」では方向が定まらず、登場人物や全体をひっくるめて全部のものが、ここの団地の御影石の礎石に吸い込まれていき、おそらくどこかへこのドラマ全体が移動するらしい、夢も昨日あたりに見ました。2020年の舞台は多分帯広です。

 

今思うと、荻窪の話もムシが言っていることなので、怪しいです。なぜ突然荻窪なのか不審に思いましたし。これも「暴力男」のことでしょうから削除しました。私の学生時代の下宿が荻窪でしたから。また不愉快な混在をしてしまい、ごめんなさい。すみませんでした。

 

今は夢のなかまでもムシが侵入しているので、分別がとても難しいのです。それに疲れ果てて友人を頼るという夢もずっと以前にありました。白い花の道は私の解釈ミスですが、ムシ製造の夢もあいだに入ってくるのです。だいたいはわかりますが、紛らわしいものもあって、あとで気づいたりします。こころを読まれるのでメモもとれません。見た夢も絵で書いたり、別の言葉で言い換えたりしていましたが、非常に苦しい作業で限界がありました。

 

いま現在、奇跡のように降ってきたこの時間を全力で利用しています。このブログはあのお祓いでおともだちしか読めないように鍵かけしてあります。こちらは大丈夫なのですが、ムシが他のブログを横から盗み見して、「暴力男」にアクセスさせて絆をつくろうと画策したので、他の三つ(月、愛の夢以外に、Le Jardin secretという旧いものも含め)お祓いで鍵かけしたら、不具合がおこり、おともだちも見れなくなるようなので、再びオープンにしました。

 

このブログは昨日ちょっとの隙に(というか隠そうとする私の不安を読むのです)タイトルを見られてしまいましたが、おともだちしか見れないので、「画策」には使えないのです。ばれてしまったので、これからは今日の記事は隠しつつPCを開けますが、アクセス画面に行くことは彼らは関心を払っていませんので、よく見ています。

 

ですから他のブログは、彼らの前ではほとんど開けられません。チャンドラの表示もまずは難しいです。日記を書いていて、チャンドラという珍しい言葉に反応して、何かあるぞと思ったらしいのです。月とただ書いておけばよかったのですが、おともだちからのものがあるかなと訪問者があった時間をメモしていたのです。愛の夢のほうは、サイトがほとんど毎回メールアドレスとPWを要求してきていて、そのときにアドレスを見られてしまったのでした。

 

ゴキブリがしきりとPC開けるなといっているのは多分そのことだったのだと思います。

冷蔵庫の下に入って、「冷蔵」と言っていたようでしたが、詳細まではわかりませんでした。

 

もうそろそろ彼らの「帰宅時間」のようです。読んでくれてありがとう、ありがとう。そして、再び言います。忘れないで、忘れないで。それから、今までムシのせいでおともだちを電話のことで苦しめてしまったこと、再度再度謝ります。ごめんなさい、ごめんなさい。許してください。再びもとの絆に戻ることができたらと。それだけを願っています、願っています。

 

再びの書けるチャンスがめぐってくるまで、めぐってくるまで。さようならは決して言いません、言いません。