連休後半。荒天が続くと言われていたが、文字通りの好天続き。
おともだちの訪問が間遠になったり、すれ違いが多くなると、不安な気持ちから、これを書いたら読んでくれるだろうか、あれを書いたらとか、気持ちばかりが先行して、それを繰り返すうちに、いったい何を伝えたいのか自分でもわからなくなってしまっていた。
これは以前からあった傾向で、このブログでは、この時期の、1年前、2年前、3年前、4年前というように、遡った同じ時期にあなたは何を書いていたか振り返ってみなせんか、というお知らせメールが折々に届く。
一昨日もそれが届いてざっと見ていたのだが、閲覧されないので、何を書けばよいのか迷うみたいなことが書かれていたので、ああ、同じことを繰り返していたのだなあ、と思った。
おともだちとの関係が、いわば緩んでしまうと、すれ違いが生じ、それで焦るので、ますます書く内容が決められなくなってしまって混乱するという、お決まりのパターンがある。
しかし、今回はちょっと違う面もあるかもしれないと思う。よくよく考えると、間遠になったのは理由があるように思う。本末転倒していたのだ。
昨年の秋から、私の身辺に「奇妙なこと」があれこれ起こるようになり、私が夢のガイダンスに従っていろんなことをやり始め、私自身はそれを、おともだちとの関係改善のためアドヴァイスしてくれていると判断して、最初は半信半疑だったものの、ほぼ忠実に実行していった。
そこまでは悪くはなかったと思うし、ガイダンスによればだが、状況が切迫していたこともあるが、言っていることはほぼ正鵠を得ていたので従っていた。それが次第に食事の内容や家のものや洋服の処分などに及び、とくに、処分に関してはものすごく細かいルールや、ルールの変更があり、神経の使い方が並ひととおりではなくなっていった。
一時は半分ノイローゼみたいになっていた。
食事も満足のいくものではないし、毎週2回の処分品の梱包に追われ、すっかり疲弊してしまって、生活がそんな風だから、ブログを書いても、そうしたトラブル含みのことばかりである。
当然のように、だんだん、おともだちの反応は芳しくなくなっていき、そうすると、
ますます焦って、それでは片付けをもっとやれば状況は改善するかしら、と、それに傾注するようになっていった。
根拠がないわけではなく、おともだちの訪問が激増した時期があった。1月の終わりごろだったか、持っていた高価なコートを処分したときだった。私の持っているもののなかで一番値が張るもので、10年ぐらいは経っているものだが、数えるほどしか着ていなかったので、さすがに逡巡した。
けれど、母に買ってもらったものでもあり、外国製のこういう高価なものはきっとおともだちはよく思わないんだろうなあ、というのもあり、処分したのだった。
このコートによる「激増」があってのち、より処分に入れ込むようになっていったが、その「激増」も、ゆうちょ銀行を使ってから、激減してしまった。
ここまでの因果関係を見て、ますます、「託宣」にこだわるようになってしまっていたのかもしれない。
しかし、おともだちとの未来に希望を託してやっていることが、最終的にそこからの離反につながってしまうのなら、意味がなくなってしまう。本来最も重要なのが、おともだちとのコミュニュケーション、つながりがちゃんとできていることなのだ。ささやかでもブログを書く場所があり、ときどきは読んでくれていて、感情の行き来があるということ。それはたいへん貴重なことなのだ。
ガイダンスが悪いというよりも、たくさん見るイメージにとらわれすぎて、ものごとの優先順位や軽重がひっくりかえってしまっていたことが問題であるのだと、ようやくわかってきた。対策に追われるのではなく、自分でしっかり情報を消化することなのだ、と。
木を見て森を見ず。未来を考えすぎるために、「今」「ここで」のおともだちとのつながりが希薄になってしまっていた。
ごめんなさい。