先に書いた記事ですが、書いたことを、とても後悔しています。

 

というのは、このブログを再開してから、前以上に何を書くべきかナーヴァスになっていて、昨日書いた誤認事件のことは、自分がどうしても今伝えたいという火急の内容だったので逡巡なく心のままに書けたのですが、今日はアクセスのインタバルが少し長くなってきて、不安になり、何か書かなくちゃと思い、別の、季節のうつろいのことなどを書きました。

 

しかし、何を言いたいのかわからない内容になってしまい結局クローズに。それならば身辺雑記として、身辺のことを書こうと思ったのです。

 

そこまではよいのですが、あの、質素倹約的な生活の細々を書きながら、私は、これならおともだちが気に入ってくれるだろうと、おともだちの目線を測り、感じながら、書いていたのでした。

 

もちろん文章というのは相手あってのことですから、それが悪いわけではないのですが、いくつもの例を挙げ、結果的に、おともだちに媚びていたということに今気づきました。

 

書いたあとで、なんとなくもやもやした気持ちがあるのが多分その証左だったのでしょう。

  

さらに、その後、貧乏くさい印象を与えるのではと思い、唐突に、二つのパラグラフを末尾に加えて、「倹約という洗練」といった奇妙な議論を展開しました。

 

全体を通してみると、本当に赤恥ものです。中でも一番よくないのは「媚びている」ことです。

 

文章は真実から離れると突然つまらなく、味気ないものになってしまいます。自分で書きながら、そこには真実味がないことが明白に感じられました。

   

おともだちは、性急に「その人らしさ」を捨て去りつつある私に、何かしら当惑を感じていたのではないでしょうか。

 

ましてや、そうした「変化」を媚びる材料として使っている、あの記事の、何とも言えない印象、それをおともだちは真実味に欠けるように感じていたのではないかと思います。

 

焦らずに、もうちょっとこの点をよく考えてみたいと思います。振り向いてもらいたいというときは誰しも「媚び」がちではありますけれど…。