記録

9月が終わって、10月に入ったついたちの晩、一つの夢を見ました。

 

5歳くらいの浴衣を着た女の子がいて、顔に泥がべったりついています。次のシーンではその子は床に倒れていました。

 

たぶん、泥がついている理由が、「床に倒れている」ということなのでしょう。そうして、それは私であると分かりました。

 

その後、夢のなかでいろんな事実が明らかになっていき、それは私もおぼろげながら感じていたインセストを暗示するものでした。私はぼんやりと「ああ、やっぱりそうなんだ。そうだったのだろうな」という虚脱した印象しか持ちませんでしたが、衝撃を受けたのは、親族、つまり母や妹もそれを「知っていた」という事実でした。

 

そうして、過去のいろんなことがジグソーパズルのように形をなしていきました。

 

去年だったか、夢のなかで、私の人生の蹉跌はここから始まったと、昭和25年の何月だったかが暗示されました。父母が結婚したのは、私が生まれる1年前ですから、それより1年前、おそらく、お見合いの時期だったのではと思います。

 

祖母(母の母)が息子(伯父)夫婦と東京で暮らすことになったので、祖母は急ぎ見合いをさせて、娘を「片付けよう」と思ったようです。もし、そこで、母が祖母たちと上京していれば、また人生は違っていたことでしょうが。

 

見合いの相手の父は、母親が花柳界出身であり、複雑な家庭状況で、いかに学歴や職業がしっかりしたものであっても、普通は二の足を踏む条件だと思いますが、そんなことにこだわらない「開明的」な祖母の決断と聞いていますが、単なる「急ぎ片付け(嫁づけ)」だったのか、こころの中まではわかりません。

 

二人が結婚して私が生まれたわけですが、母が祖母のつくった新婚旅行用のスーツを着て立っている夢を見たこともかつてあります。そこに現れる、何か忌まわしい感じの中年男の大きな影。父は母より一回り年上でした。

 

1日の夢以前に、10年近く前に見た夢では、やはりその浴衣の女の子が出てきて激しく泣いており、イチジクの木が見えました。幼稚園から小学校にかけて住んでいた家にはたしかにイチジクの木が古い物置のそばにありました。夢のなかで、父は雨のように涙を流しているようでした。イチジクは漢字で書くと無花果

 

その夢の時には、T子葛藤という言葉と何かを聞きましたが、それが新婚旅行で起こった何かなのか、あるいは、その後の葛藤なのかは判然としませんが…。

 

このように、古い、繰り返される夢が1日の夢によって収斂していき、明白になるとともに、そこに浮かび上がったのは、単なる加害者、被害者関係というよりは、家族全体の歪んだ姿でした。誰も知らなかったわけではなかったのです。

 

夢の語りによれば、私の人生のいろんな障害はここに由来すると。家族関係です。

 

自分で意識している大きな蹉跌に、19歳のときの、大学再受験があります。

 

入った大学が自分とあまりに合わないために、時々、「不満組」のクラスメートと語らっていましたが、たまたま訪ねた伯母の家でそれを話すと、帰省して早く親に話して再受験したほうがいいと、強く背中を押されたのです。

 

しかし、郷里で私を待っていたのは、期待していた共感とか励まし(もちろん反対も想定していましたが)ではなく、母は「失敗したら、T大学だからね」と地元の大学を名指ししたのです。私は再受験の際は、当然のように、私大を滑り止めに考えていたのでしたが。

 

当時まだ高校生だった妹は、この話がもちあがったときから、じっと状況を観察していたのでしょう。翌日だったか、茶の間で、「おとうさんが、あの子のようにお前はなるな」と言っていたんだ、と、一言もらしたのでした。

 

そのときの衝撃は今でも覚えていて、食器戸棚のガラスが歪んで見えました。アタマの中も真っ白になって。そうして、「あのひとたちを信用してはいかんよ」と言ったのでした。

 

今から考えると、なぜそんなことを言ったのか、正確にはどういう言葉を本人が使ったのか、伝聞でしかないので父に確かめればよかったのでしょうが、19やそこらですから、ただただ衝撃を受けて、親を恨む気持ちが募るだけした。さらに、追い打ちをかけるように、最初は背中を押した東京の伯母も、我関せずといった対応でした。

 

そうして、再受験することにして帰京しましたが、実際に受験勉強を始めてみると、苦手の数学が、学校を離れてみると困難が多く、地元の大学へ行くことは絶対に嫌だったので、諦めた事情がありました。もちろん普通に大学へは通っていましたが、そこから撤退してしまったことで、自分のなかでは大きな心理的挫折感を抱えるようになりました。

 「不満組」の一人は翌年志望校に合格、その彼女が先日夢に現れて、「サヨナラ」と手を振って離れていく姿を見ました。

 

私が、嫌悪感を感じる人間でありながら、なぜ、「あの男」とつきあったかといえば、

この時期にちょうどあたります。自分のこころのなかに生まれた家族への不信感から、

もともと実家とは親戚同士であるけれど、仲がよくない家の者がまるで運命の足音のように近づいてきて、そこに逃避したのでした。

 

私が再受験しようとして挙げた関西の国立大の欧州文学の専攻には、翌々年、妹が進学しました。今から思うと、彼女に本来的な動機があろうはずもなく、私の諦めた道を目指した、屈折した動機があったのかと思います。まるで、影が私を追っているようでした。

 

両親についての指摘があったため、妹はこちらに同情的なのかと思っていましたが、今から考えるとそういうわけでもない、複雑な言動でした。のちに、私はあのときの妹が言った「あの子のようになるな」という言葉を、オセロに囁くイヤーゴの言葉のように思い、両親との仲を割くような一言だったのだと思いましたが、しかし、その両親はようやく今わかりましたが、すでに私を再三再四裏切っていたわけだったのです。