気の狂いそうな、未来予測(瞬時の1行動がこんな未来へと、行為や場所を示される)のワームの歌に24時間365時間囲まれて、3年以上が経った。

 

彼らに襲われた2年前、教会の神父を訪ねて相談したけれど、「祈り」だけでは不可能で、病院への受診をすすめられた。けれど「クスリで治るものでもおそらくないでしょう」と。精神疾患だと思われたのだろう。

 

そういう「体質」はある。このブログでも母のことを書いてきたけれど、母や家族に関する怖い夢を2016年の晩秋から見るようになり、17年の誕生日には、私の介護人生のようなビジョンがあらわれた。リハビリシューズである。今考えると、それは私自身が介護される未来だったのかもしれない。

 

そうして、過去の記事にも書いてあるけれど、「家」に関する大量の物品を処分すべきという

「お告げ」があって、私はそれに従った。そうしないと、私が親族に蹂躙されて、命はないという内容だったからである。

 

今、正気に戻って振り返ると、どうしてあんな狂気のような行為ができたのだろうと思う。美しい洋服や品物、大事な飾り物や書類など、「過去を捨てよ、家族から離れよ」という指示の夢のもと、処分してきたのだった。

 

昨年の11月、厳しい食事制限の指示で体重は40キロを切り、疲労のあまり、倒れかけた。

そのころ、「夢」の語り手はパーソナリティが変質して、「お告げ」というより、会話になった。そして、今ではあれらの「夢」は皆、私の「恐怖」による、無意識の感情のあらわれで、

「お告げ」的なものではないと語った。

 

そうかもしれない。大部分のところは。でも、「正夢」的なものもあった。そもそも、私が「夢」を信じるようになったのは、2007年の夏に原発事故のビジョンを見たからである。

ガラスのキャスクのようなものが沸騰し、そこからあふれたものが日本地図の上に黒い液体か気体のようなものになって広がった。

 

その後、「この世界」は特殊な用語や物語によって、私の人生に浸透していき、私の無意識かもしれないが、私が一種の遺漏体質というか、自分の能力も運命も未来も、人に手渡してしまう、さらにそのことも含めて自殺に追い込まれる「特別人生」という生まれだというのだった。

 

日を追ってそれは激しくなり、たまらなくなって、母のところに駆け込んだりしたが、

そういうときは、必ず、家の周りの大樹の伐採がおこなわれたりした。偶然といえば、そうだが、何回もそういうことがあった。

 

母は私の苦境を知って、かばってくれたが、やはりオーメンと私が呼ぶところの、親族のところにいると、さらに苦境が倍加されるという予兆(これはだいたい周囲の人々の行動や、モノの配置などで見せられる)が激しくなって、母のところを出た。

 

このオーメンの恐ろしさは、半端なものではない。道行く人、空飛ぶもの(このあたりは飛行機もよく飛ぶ)、着衣、さまざまなものにあらわれる。思い過ごしというにはリアルな、障害者との遭遇、ひとの行為(立ち止まって私の目の前で靴紐を結び直すひとがいたり)というものである。

そうこうしているうちに母は入院をして亡くなった。

 

私はいろいろな人(男女問わず)の「気をひいて」、そのあと置き去りにして、人を苦しめた悪い女だと「夢」は言う。母や家族のことも自分の無意識から生まれた恐怖、そのことで相手を苦しめたと言う。

 

だから、この「ワーム」の国へ「落ちてきた」のだという。果たしてそれは存在するのだろうか。

 

夢は、私がこれを認めないので、余命がいくばくもないという。また、ワームは、毎秒毎秒

自殺、自殺と歌っている。さらに、恐ろしいことに、私はそうした夢のひとつで、人々を苦しめた良心の呵責によって、実際に「自殺しなければならない」という自分の思い、また「飛び降りろ」という「夢」の指示(声ではない)で、高所からの飛び降りをしかけた。

 

だが、どうしても、怖くてできず、家へ帰った。自分がふがいなく、引き返して、続いて、2、3回試みたが、できなかった。家へ帰ると、「夢」はこれに失敗するたびに、顔が醜くなると言った。実際、私は17年からの節食と不眠、運動不足などで、痩せて、昔の面影を失っているように思われた。(冷静に考えると、人相がそんなに変わったろうかと思うが、過酷な生活で内面が荒廃したのが現れたのだろう)

 

いつごろからか、私の声も前より低くなり、ずいぶん変わった。まったく人と話さないので声帯が衰えたのかもしれないが、それだけでもない、「顔が悪くなる」と似たものなのかもしれない。

 

死後の世界の懲罰システムはどの文明、文化にもある。でも、生きているうちに、これだけ責め苦を負うことは聞いたことがない。でも、彼らは外的な「歌」ではないけど、4分の3拍子の歌を一種の脳内で歌っているようだ。歌詞やことばからいって、高度な知性の「生物」である。私がたまたまこれのはじまりを「イヤーワーム」現象からとって、ワームワームといっていたけれど、彼ら自身はやってきたとき「小さな神々」を名乗ったのだった。

 

生きているうちに、これほどの苦しみ、(自分が悪いのだろうけど)恐怖に絡めとられる(睡眠や食事もままならない)あろうとは、よもや想像できなかった。今でも、信じられなかったりする。

 

どういう「神」なのか。「夢」も「彼ら」も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

が、何回も

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく