私のまわりでは本当に異常なことが起こっているのだけど、それは誰も気づかないようなこと。
これまで私が書いてきたようなことも、「妄想」として片付けられるだろう。
どうして、ワームや夢につきまとわれるようになったかと考えているとき、「夢人格」が言うには、私がたくさんの人を苦しめてきたその罪によって、ここへ落ちてきたのだと。
最近はあまり夢を見ないが、今朝がたは、夢ではないが、「本当のところはこうだ…」と、
3年前の最初の頃から、親族によって「籠の鳥」になってしまうというシナリオは私の無意識の恐怖(最近の説明ではそうだった)ではなく、「本当のこと」だったと。
こうした話は本当は書きたくない。あるいは話したくない。なぜかというなら、それの真偽は
たしかめることができないからだ。「あの時のあの言葉は…」とか「そういえば…」と思っても、思い込みというか、後付けの理屈で上書きされてしまうところもあるからだ。
しかし、そう思って、あるいは、何か行動するときに、「これこれをするとお前はこれこれを失う」とかそういうことを言われるわけだけど、それに沿って行動をやめたり変えたりすること、それをたびたびやってきたわけだけど、そうすると、結果的にはマインドコントロールに
なってしまう。
ただ、これをもう一歩進めて考えると、「夢人格」の指示も自分がつくっているとすれば、
自分でかけているマンドコントロールになることになる。それで最近では、こうした「影の声」はほとんど頓着しないことにした。
「昼間の意識」で「自分の頭」で考えたことだけを指針にしていくことに。
昨日も、「夢」はみぞれの降る中、私を図書館に行かせて本を借り出して読むように指示したが、その際は、自分の納得、同意も得るようにしてから、行ったのだった。
これを書き始めたとき、カラスが家の前の大ケヤキの枝にやってきて、とまった。先に書こうとしたときはカラスのことではなかったが、カラスのことを書き始めたら、姿は消えたのだった。
カラスは「夢」の御遣い扱いなのだが、それに注意を払い過ぎるとまた、「カラスに貧困」といって非難されたりしてきた。無視してもいけないようだし、さらに重視しすぎてもいけない。もちろん過ぎたるは及ばざる、ということはあるけれど。(「貧困」というのは、「度を超した愛着」ぐらいの意味のようで、「彼ら」の特殊用語である)
「夢人格」はこのように非常に複雑な人格を持っている。裏と表がいくつも反転しているようなメッセージで、古い神々のように、彼自体の感情が入っている。正と反、アンビヴァレントなメッセージもよくある。
最近はもっともっと複雑なことを、あるシステムとしていってきているが、どう考えてもよくわからず、私権の制限にあたることだったりする。
私の声は以前と違った声になったのだけど、それは巣ごもりで人に会わないせいだろうと思っていた。けれども、外の人と話すと、普通の、以前の声に近くなっていく。つまり、私は長い間、「ソフトな監禁」状態にあったのだろうと思う。