大人の時間

今日から2月。暖かかったのに、2月の声を聞くと急にまた、寒くなった。

 

このところまた、「ダウントン・アビー」に嵌まっている。現在テレビでシーズン5の終わりぐらいを放映中なのだが、いつもあっという間に時間が経ってしまい、次の週まで待ちきれない。

 

テレビは、とくに、日本のドラマはまったくと言っていいほど見ないのだが、それはなぜかというと、ダウントンにあるような、人間ドラマの面白さ、人間関係の機微を職人技的なうまさで飽きることなく見せるような、「大人の」ドラマがないからだ。

 

つくりかたは職人技、well-madeなのだが、人間模様を俯瞰するには、透徹した視線と、ある種の知性が要求される。さらに、会話のやりとりが素晴らしい。皮肉だったり、同情だったり、はたまた、うんと婉曲な「見えない戦争」みたいなものであったり。

 

ラニー・ヴァイオレットや、料理長のミセス・パットモアの「警句」はあちらこちらで取り上げられているが、本当にうならされるものが多い。

http://downtonabbeyonline.com/countess-dowager-violet-grantham-quotes/

http://downtonabbeyonline.com/mrs-patmore-quotes/

 

このシリーズがつくられるきっかけになった映画「ゴスフォードパーク」も見たことがあるけれど、これほど面白くなかった。貴族やその召使いたちの珍しい生態ぐらいの印象しかなかった。

 

それを、単なる「物珍しさ」だけではない、人間ドラマにまで持っていったことが、

成功の秘密だったのだろう。また、このシリーズの「厚み」は、人間ドラマがお家芸の英文学の伝統を滋養にしていると感じる。そうした土壌がなければ生まれない、人間観察の面白さ。

 

翻って日本を見ると、こうした大人の鑑賞に耐えるような作品がテレビにも映画にもまったくと言っていいほどない。

 

最近私は映画に対するパッションをすっかり失ってしまい、昨年見たのも、「シン・ゴジラ」ぐらいしかない。大変な評判なのでどういうものか見てみたのだが、今の日本の文化を象徴するような、「オタク的」「蛸壺的」な、内輪受けや楽屋落ち満載で、文化や土壌を共有するひとにしかわからない、閉塞したつまらないものだった。

 

日本の若いひとたち、いや、中年とかもそうなのだけど、カラオケでも、アニメソングでたいそう盛り上がるのだが、それぞれ細かく年代の特徴があるらしく、同じ層に属することがたいそうな仲間意識を生む。そういう現象に前々からとても違和感があったのだが、「ゴジラ」への熱狂はそういったアニメソングの帰属意識ととても似ていると感じた。

 

若者だけをもてはやしたり、若者の価値観にひたすら迎合しているような文化は、やがて滅びてしまうのではないだろうか。