山の奥

灰色の空の曇りの日。

 

この2、3日、いろいろな記事を書いたのだが、すべて読まれることがなかったので、

こういうことを書いても無駄なのだなあ、と感じた。それはとても疲れることだから、

もうブログを書くのもやめたいと、何度も思ったりした。

 

つまり関心がかみ合わないということになるからだ。

 

以前、初めてO市を訪問したとき、公園に散歩に行って、ヴァイオリンの練習をしていたという児童館やら、そのあたりを歩きまわったとき。

 

たしか、薬草園があって、そこで練習したこともあるという話で、そちらに一緒に歩いていった。私はとても行ってみたかったのだ。かなり草ぼうぼうで、ストッキングの脚にノコンギクみたいなチクチクするものが刺さったりするので、途中まで行ってから、「このあたりで戻りましょう」とおともだちをうながした。心残りだったのだが。

 

最初のつもりではそこをずんずん分け入ってはいり、昔練習をしていたというその薬草園で抱きしめられて、接吻をしてもらいたかったのだ。

 

このあいだから、決定的なことを書いてしまったりしたので、気になっているし、なんだか不思議なこともいろいろある。

 

「女の道は一本道にございます。さだめに背き、引き返すは恥にございます」と言ったのは、徳川に嫁いだ薩摩の篤姫だが、私はいつかおともだちの家でこころのうちに、最後までの忠実を誓ったように、もとより、他のひとと結婚するとかを考えることはない。

 

ただ、おともだちと一緒の人生がないとしたら、私は私ひとりでの自分の生計をこれから立てていかねばならず、それがために針路に悩んでいるわけである。

 

障害になっているのが母だとして、今は人間として最低限すべきことをしているだけであるのだが。

 

山に分け入って行く道(困難)を放擲するのではないが、それが本当に正しいことなのかどうか、また、その道のゆくえがはっきりとはわからないこと、つまりコミュニケーションがとれないことが一番の障害だと思うのだが。

 

篤姫のテレビドラマは、ちょうどおともだちと私の旅行した頃に放映中で、宿で夜、家定と篤姫の二人の新婚時代を見ていた記憶が、そういえばあったのだった。