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電車に乗っていると、まだ竹やぶや雑木林がのこる田舎であるこのあたりの風景のなかに、あちらにもこちらにも、霞のような桜が見えて、深山の掛け軸に桜が散見されるような風情があって、眼を楽しませてくれる。

 

人生のなかでいろいろなことがあろうとも、重要なことは大文字で書くような、だいそれたことや思想や宗教などというよりは、暮らしのなかでふと感じる美しさとか、その季節だけの楽しみ ーささやかなものだけれどー なのではないかと感じる。

 

ノーベル賞の選考過程が年を経るとある程度開示されて、三島由紀夫は65年の候補にあがっていたのだが、選考委員からの問い合わせに対して、ドナルドキーン氏が、谷崎や川端に比べてまだまだ若い三島が受賞することには、日本人や日本社会が抵抗を示すだろうという意見を、選考委員会に対して出していたことが明らかになった。

 

運命の皮肉というか、親友であるキーンが、あまりに日本の社会を忖度し過ぎて、自らが最も評価している三島をストレートに推さなかったことが、賞を逸することに繋がったとは。

 

三島はそれほど世界的な評価が欲しかったのだ。文学のような明確な基準がないもののノーベル賞なんてさほど意味がない、と一般人は思うかもしれないけれど、三島はオリンピックのような数字で優劣を競えるような環境を羨んでいたそうだから、本当に悔しかったということなのだろう。

 

受賞していればああいう風に死ぬこともなかっただろうし、遺された家族の、おそらくは不幸もなかっただろうと思う。

 

彼の人生は、私が「謀略」として推測しているように、誰かがシナリオを書いてそこへ誘導したようにも感じられるし、美智子皇后とお見合いをしたとか、小説ばりのエピソードも、劇的な印象を倍加するために、また誰かが捏造したことではないかと私は考えている。

 

とにかく、親友の「深慮」が却って仇になったというわけだ。

 

人間はとかく「ドラマ」が好きだから、三島の生涯には果てしなく尾ひれがつけられていくが、本当はもっとシンプルな人生を望んでいたのかもしれない。いくつかの偶然が(あるいはひょっとしてシナリオが)「事件」にまで至らしめた。本当は起こらなかったかもしれないロシア革命のように。