ラジオニュースによると、今朝の早朝、東京では初雪が降ったらしい。今日は7度ぐらいまでしか気温があがらない寒い日になるとのこと。窓からは傘をさして歩いている人々が見える。
私は一昨日ぐらいからひどい風邪をひいている。予兆は7日ぐらいからあった。夜になると咳がとまらなかったり、それからは鼻風邪がひどく、今日はアップルストア、明日は病院の予約があったが、とても出かけられないので、半月ほど先に延ばした。こんなにひどい風邪も久々である。ひどりでただじっと寝ていると心細い。
頭がもうろうとしているので、時々PCを開けたり、あとはテレビでニュースを見たり。
昨日のニュースでは二つ感動させられる内容があって、その余波は今も続いており、いろいろ考えさせられている。
ひとつは、各地の成人式の報道。ある東北の被災地の青年だが、震災の津波で、クラスメート三人を喪った。その学校の生徒会長だったそうで、震災直後、避難先の体育館でおこなわれた卒業式で答辞を読んだのが、当時皆に感銘をあたえて、多く報道されていたというが私は覚えていない。
5年前の、中学卒業式の彼のその映像も流されたが、「悔しい」と、上を向いて涙を振り払いながらの答辞朗読だった。一連の答辞の文章のなかで、彼が「…苦境にあっても天を恨まず…」と頑張っていきたいという決意を述べた言葉に感動した。
「苦境にあっても天を恨まず」。
今年、成人した彼は、早世した友人たちも含めた亡き人々のために、これから自分が何ができるかをずっと考えてきたということで、専門学校を卒業して、その町の岩盤をつくる会社に就職したと言っていた。
これで文字どおり、被災したふるさとの足元を固めることに役立つと思う、と、ひとつの解答を出した爽やかな表情で語っていた。
同じ学校の、やはり、津波で親友を亡くした女の子も、今は仙台で一人暮らしだが、その新成人は、一人の部屋でよく学校時代の文化祭のダンスのDVDを繰り返し見ているのだという。「これは私の宝物。生きている彼女にいつでも会えるから」と。親友は映像のなかで、楽しそうに屈託なく踊っている。
今朝のラジオでは、やはり被災地のある学校での話として、卒業用の寄せ書きを皆でしているところを津波に襲われて、何人かが亡くなったという便りが読まれていた。改めて、卒業の季節だったんだなあ、という思いをあらたにする。
もうひとつは、年末の30日、ダンサーのシルヴィ・ギエムのラストステージの様子とその際のインタビュー。
ギエムは、少なからぬ外国人アーティストが公演をキャンセルするなか、震災直後のいわき市や盛岡で、予定通り公演をおこなったことで当時話題になっていた。
ラストステージでは、ベジャールのボレロを踊り、テレビで見るだけでも、すごい迫力だった。
震災直後の舞台でも、ボレロを踊ったのだという。
インタビューでギエムは、
「ボレロはエネルギーを与える作品なんです。自分は日本からたくさんのものをもらったから、お返しをしたいと、震災のすぐあとも公演を続けた」と言っていた。
ギエムは15歳のとき、パリ、オペラ座のバレエ学校の生徒として日本公演に参加し、
初めて日本の文化に触れて、自分の世界の外に、まったく知らない別のものがあったということに衝撃を受けて、それからたびたび来日するようになったのだという。
日本で触れたいろいろなものが、自分の踊りのなかに反映していると言っていた。人生は永遠に続く闘いだ、とも。
けれども、こういう言葉や、群舞の男たちを従えて踊るボレロの迫力とは違って、素顔のギエムはメークアップもなしで、穏やかな、むしろ優しい感じの女性で、そのギャップに驚かされた。
ラストステージは20分も拍手が鳴りやまなかったということだが、会場の外でのインタビューで、若い女性が、
「とても勇気づけられた。自分も世の中で何かの役割を担っていきたという気持ちにさせられた」と語っていた。
バレエを見て、そんな気持ちにさせられるというのは、そうそうあることではないだろうと思う。
ギエムは「踊りで世界を救う」と言っていることは知られているが、そういう言葉を懐疑的に思っていたし、また、自分自身、「己を救うものは万民を救う」というサロフのセラフィムの言葉をモットーとしていた。利他的なことを言ったりやったりしながら、偽善的だったりする人も多いからだ。
しかし、利他と利己は結局同じことの両面なのかもしれないし、また、相補的なものなのだろう。どちらがどちらとも言えないように、マーブル流水模様のように渾然一体となっているのかもしれない。
ギエムの優しい、しかしきっぱりした語り口と、先ほどの被災地の青年の飾らぬ言葉、問いかけるアナウンサーにぽつりと、「いっしょに成人式の場にいられたらな、とは思いますけどね」という言葉が印象的だった。