自分との対話

安保法制の審議の国会中継などを見ていて、ふと、松本重治のことを思い出した。今の私にとっては、松本翁はエスタブリッシュメントの極みのような存在なので、あまり評価はできないけれども、それでも、一度インタビューしたときに、「日米関係の鍵は中国にある」、「日米関係を考えるには中国のことを考える必要がある」というようなことを言っていた。

 

これは彼のアメリカでの恩師の説を受け継いでいるといえばそれまでだが、松本翁がどういう意味で言ったかはともかく、今の日本にとって、かなり深い意味を持つ言葉ではないかと思う。

 

 翁が亡くなったとき、葬儀は密葬ということなので、前夜式の前にお別れを告げたとき、臨終洗礼を聖公会で受けた翁の柩をはさんで夕闇の祭壇の向こう側にいたのが、たまたまロックフェラー氏だったのを覚えている。その時間は他にひとがほとんどいなかった。世田谷にあったその教会を出ると、警官の詰め所のある家があって、竹下元総理の家で、佐藤栄作なども過去の住人だった。式には出ず、たしかお花料だけ納めた。

 

そんなこんなで、翁が創設した国際文化会館が今どうなっているのかな…とサイトをのぞいてみた。ここは、このあいだから伝記を読んでいた沢田女史の実家、三菱の岩崎家の、しかも妾宅だったときいたことがある。広大な美しい庭園。そういえば、東京の名だたる名園は六義園も清澄も皆、元岩崎の所有であることを最近知った。

 

とくに日米関係に強い優れたライブラリーがあるし、図書館だけのメンバーシップというのもあるので、こころが動いたが、ここのいささかスノッブな雰囲気はちょっと苦手でもあり、また、ここで人間関係ができてしまうと、いろいろ考え方の上で拘束されてしまうような気もして、今日が図書館ツアーのある日だが、考え直すことにする。

 

エスタブリッシュメントの二面性みたいなものを、あまりに多く最近見つけたこともある。表で文化活動や慈善事業をし、裏でダーティーなことをやる、文字通りロンダリングみたいなことを。松本翁がそうだというわけではないけれども…。自分の見解としては、「群れない」庶民が実は一番賢いのではないか、と最近感じる。

 

 いろいろな意味で妥協は必要だとは思うし、闇米を拒否して死んだ裁判官みたなことになるような怖れも、私のなかには根深くある。人生は簡単に割り切れないから大変だ。悩みは深い。