普通の生活は続く

ニュースは熊本の地震が大部分だが、だんだん平常番組も多くなってきた。とはいえ、熊本県だけでも9万人の人々が避難所生活をしているわけだが、ここ首都圏ではいつもの日常が続く。それでも、7、8センチもあるようなハイヒールを履いている女性がいたりするのは、いくらここでも驚きだ。

 

5年前の大震災以降ずっとそうだが、災害や危機がありながらも、生活は継続していかなくてはならないし、娯楽だって適度に必要。それらをどう上手に配分していくか、ずっとそういうバランスとりをしてきたような気がする。5年前に強く感じたのは、単なる食料確保だけでなく、お菓子やスナックのような、嗜好品も「精神的」に必要になるということだ。

 

「パンがなければお菓子を食べればいいじゃないの」というのは、本当にマリー・アントワネットが言ったかどうか、私は疑っているが、お菓子が主食になるとは思わないが、生活のそうした潤いは大切だ。

 

おとといは、久々に銀座のアップルストアへ行ったのだが、その帰りに、過日、ニコンのサロンへ行ったときに、その隣に見つけた、トミー・バハマというショップのレストランに寄って、お昼を食べた。もともとフロリダが本店の、カジュアルリゾートウェアのお店だそうだが、洋服のお値段はまったくカジュアルとはいえないものだ。

 

その、まったりした時間の流れる、多少スノッブな感じの店内に流れる時間や、そこで食事をする人々と、毎日テレビに流される避難所生活の映像の記憶はあまりにかけ離れているので、なんだかあたまがくらくらするぐらいであった。食事はまあまあなのだが、焙煎のときにバニラをいっしょにローストするとかいう、コーヒーが目の覚めるような美味しさであったが、どことなく、今の日本の状況を考えると、ギルティーな感じもした。

 

今日は、沿線の、初めて行くシネマコンプレックスで、「スポットライト」を見た。最近は映画はほとんど見ないのだが、これは見たかったのだ。

 

アメリカ映画らしい優れた脚本とテンポのよい展開に引き込まれ、あっという間だったが、おそらく、このボストングローブのスクープ記事が引き金になって、世界的に聖職者の罪状が雪崩をうって明らかになっていったという思いがした。この最初の「一撃」が、その後の世界を変えたし、前法皇の生前退位も結局この問題が原因、遠因ではなかろうか。

 

最後に、この報道後に、これら「神父による犯罪」が判明した全米の都市や州名がずっとリストになって長々と出てくるのだが、それらをぼーっと見ていたら、後半は海外になっていることに気づき、目で追っていったのだが、TのところにTokyoはなかった。アジアだとフィリピンとかインドぐらいがリストにあげられていた。

 

日本も例外ではなく、教育修道会として知られるS会の関連施設で問題になっているの

を仄聞したことがあるが、あまり公には言われていないのかもしれない。

 

そのS会の発行する雑誌に私は映画評を書いていたのだが、喧嘩別れみたいになってやめた。自分も忍耐力がなかったかなあ、と時々思ったりしていたのだが、この映画を見てみて、やっぱりきっぱり断絶してしまったことは、自分の良心の問題として正解だったと思ったことだった。