普通の生活

今日は日曜日。木曜夜の熊本での地震から、まるで違った時間が流れているような感じがする。

 

ラジオもテレビも地震報道一色で、さらに、ラジオなどでも、普通の番組をやっていても、5分おきぐらいに地震がありました報道が挿入されるので、落ち着かない。アナウンサーたちも慌てていたり動揺していたり、あるいは渡されたばかりの原稿を読むからか、間違えたり、詰まったり。

 

東日本大震災のときもそうだったのだが、そうした時にどうやって、普通の生活と精神状態を保っていくか、バランスのとりかたがなかなか難しい。映像を繰り返し流すテレビはあまりつけないようにしている。

 

この「既視感」は、東日本大震災のとき、また、さらに遡って、昭和天皇の危篤が続いた期間とよく似ている。あらゆる関心や報道がそれ一色に染まってしまっている。なにか奇妙な時間空間。

 

 

こちらは春の嵐が今朝から吹き荒れていて、ベランダのチューリップやラヴェンダー、ゼラニウムを物陰に避難させた。満開の八重桜が烈風に耐えている。

 

以前から時々洋服などを買っていたアメリカの通販のセールで、とっても好みの柄のベッド用品(ブルーアンドホワイトのオリエンタル柄。ポルトガル製)が安く出ていたのが、届いたのはいいのだが、布団や枕のサイズが違うし、もともとベッドは使わないので、頭をしぼっている。もともとそれは納得済みで、テーブルクロスにしても、夏のソファカバーにしてもいいしと思っていたのだが。ちょっと笑える。