日の暮れるのが早くなった。5時ぐらいにはもう真っ暗である。

 

鳥取地震は人的な被害こそあまりなかったものの、屋根瓦の壊れた家々、いまだ避難所暮らしをしている人々も多く、長引く避難所暮らしで体調を崩す人の問題がそろそろ出始めてきたようだ。

 

選挙やら事件やらで、あっと言う間に、地震の報道も少なめに。ニュースが頭にとどまる暇がないほどめまぐるしい日々。

 

笑ってはいけないのだが、鳥取地震の当日10月21日に、秋篠宮の著書(共著だが)「鯰の博覧誌」というのが刊行されたという。宮がずっと鯰の研究をしているのは皆知っているし、鯰殿下とさえ言われているぐらいなのだが、それにしても、この偶然はあまりにも出来すぎて笑うしかない。

 

カスタマーレビューはまだないが、アマゾンの当該ページには令々しい、学究としての宮の履歴が理学博士の肩書きとともに書かれているが、しかし、学習院高等科時代は勉強嫌いで、学年末試験さえ、彼が落第することを危惧して中止になったというひとが、

どうしてここまで学究生活にこだわるのか、不思議でしょうがない。

 

もちろん、学校を卒業してから学問に目覚めたという可能性もないわけではないが、今上天皇も、昭和天皇もそうだが、どうしてそこまでして「学者」でありたいのか、そのこだわりは私の理解の外である。天皇や皇族に学歴もアカデミックキャリアも、まったく必要ないと思われるのだが。

 

イシガオサムという、クリスチャンでエスペランチストスウェーデンの作家ラーゲルレーヴの翻訳で知られる絶対的平和主義者の簡単な評伝を読んでいて、イシガが自由学園羽仁もと子を批判していることを知った。

 

もともとは敬虔な信仰者としての羽仁を尊敬していたのだが、羽仁は戦争の色が濃くなると、国策に追従して、海軍省に多大な寄付などをしたことによるのだという。

 

あの時代に、学校を潰さない為に妥協をしたのかもしれないが、一方で私の知るかぎり、自由学園は皇居で清掃奉仕をしたり、折口信夫古事記の講義をずっと続けたりと、いわば”国粋的”な一面も持っている学校であったから、さもありなんと思う。

 

しかし、そのイシガも兵役のための点呼に不参加を表明して自首したのだが、憲兵隊に拘留されると、唐突に翻意し、その後、裁判で罰金刑を課せられて、釈放された。戦後はハンセン病療養所で奉仕活動をしたとのことだ。

 

私が「おや」と思ったのは、イシガのことというより、この略伝を書いた著者が天皇制について、文中ごくあっさりと、「現在の天皇制は明治の国家指導者の創作だが、」などと書いていることである。

 

東京大学から國學院大學にいたるまで、いわゆる学問世界でこんなことを言ったり書いたりするひとは皆無である。「古事記」や「日本書紀」が正史としてデフォルトの世界なのである。

 

著者は病気などの事情もあり、高等小学校卒で文筆活動をしている高齢の文筆家であるが、いわゆる学究が到達できないような、知見をごく自然にもっていることに感嘆した。

 

小さな本であるが、鯰殿下の上げ底学問とは、みごとな対照をなしている庶民の声であった。