ミミズのつぶやき

今日は、気温が少し上がって、陽射しのまぶしい日。待ちこがれた春がついそこまでやってきていることが、陽光の明るさに感じられる。気温はそんなに高くなくても、地面の温度がもうかなり上がっているのだろう。もしミミズなどがいるのだったら、ぬくぬくとそれを感じているのではないだろうか。

 

さて、日本のインターネットの世界は、ブログもツィッターも、「裏読み」「陰謀論」がまことに盛んである。たしかに、「目から鱗」が落ちるのは誰にとっても、ある種の快感だ。

 

3.11が人工地震で、つい先日の西日本のM6.1の地震も、伊方原発事故の可能性の恐怖を煽るために仕掛けられたとか、かしましい。

 

その可能性はまったく否定はできないし、私自身も、自分の見聞と、主にネット情報を通じて首都圏の放射能汚染が実はかなり酷いのではないかという判断もあって、避難したのだった。

 

ところで、これら陰謀論者の主張(政府は嘘をついているとか、専門家といっても御用学者ばかりとか<SPEEDIのデータ隠しはたしかにある>)をもうひとつひっくり返してみると、首都圏のシビアな放射能汚染という「警告」を装った、「さらにひとつの情報操作」だってありうるかもしれないのである。

 

避難したひとたちの共通の心性として、自分の判断が正しかったという心の安定がどうしても欲しいわけだから(いろいろな犠牲を払っているし)、後にした土地で何かが起こったり、酷い汚染で病気が続出、ということにならないと当惑する、という倒錯した心情に陥りがちである。その際、危機的状況を伝えるような情報に接すればますます、それに肩入れし、「過酷な情況説」を補強するサイクルに入ってしまう。その方が、安心立命だからである。

 

私も実はそうだった。そしてだんだん、そうした自分に嫌気がさしてきた。もちろん、他人の不幸を願っているわけではないが、自分のロジックの帰結を結果としてみないと、日々不安定になってしまう、という傾向が出て来るのである。

 

また、彼らの論理はだいたい、「海外のメディアの情報は正しく、日本のマスコミと政府の情報は信用できない」という論調がベースになっている。

 

どちらが正しいかは、ケースバイケースの検証が必要だが、「日本はおかしい」というバイアスにとらわれすぎて、且つ、そのことが、日本自体の価値や国力を弱めることに繋がっていることに気づいていないのだろうか。

 

はっきり言おう。彼らが今(まだ避難中の私もだけど)、地方でまがりなりにも、安心安全な暮らしができているのは、首都からの避難で首都機能が崩壊したり、経済が疲弊したりしていないからこそ、「避難生活」が営めているのである。首都圏に暮らす人々を「気づいていない」「愚かしい」という前に、そうした言動が柿の木に梯子をかけて実をとりながら、その幹を切っている矛盾に、どうして気づかないのだろう。

 

また、陰謀論者の論理を借りると、海外からの情報が、あるいは、日本の国力を削ぐための、それこそ陰謀である可能性もなくはなく、陰謀論を叫びながら、実は別の陰謀に(しかも他国の)加担していることになるかもしれないのである。

 

いずれにしても、「自らが正しい」と信じてやまず、他人を説得しようとし、共感共苦という言葉から遠い、ネット上の言説とは一線も二線も画したい。とくに多く見られる母子避難で、「命を守る」という命題のもと、極端な言説をとる母親と、そうしたコミュニティで暮らして、子供の精神的成長にひずみが出ないものだろうかと思う。

 

 

震災後の日本は、賠償や復興行政への批判を欠いた、情緒的な「共感番組」が氾濫する一方で、極端に閉鎖的な論理で、危機感ばかり叫ぶひとたちに二分されていて、溜め息の出る毎日である。

 

これから目指す方向はむしろゼロリスクではなく、原発事故後の放射能汚染の、まだまだ未知の要素の多い情況を、どうやって生き延びていくか、バランスをとっていくか、ということではないだろうか。首都圏へ戻ろうと考えている私の目指すのも、それである。

 

そういえば、こちらではあまりミミズを見かけない。寒いと、ミミズは生息できないのだろうか。そんなこともないだろうけれど。「春だなあ」と地中でつぶやいているかもしれない。