ピアニスト

世界は……秘密と嘘でできている。

 

翁の父パーヴェル・アレクシーエヴィチ・T、職業音楽師(外事警察記録による)。

アンナおばあさんの劇団の座付きピアニストだったわけだが、

M大公の写真をピンタレストで見ていたら、accomplished pianist and composerと。

グランドピアノの前の姿が。

ピアノが弾ける軍人はそれなりにいるにはいるだろうけれども。

 

虐殺はやはり、アンナ・アンダーソンがいうようにフィクションだった可能性が高い。

 

大公の写真は、体型や身長は似ていないが、顔立ちに面影を感じる写真もある。ある意味、父の面影をとどめえない容貌に病気のためになったわけだが、それは

残酷な天の配剤といえるかもしれない。

 

私が持っている小説形式の「ザ・ロスト・ロマノフ・アイコン・アンド・ザ・エニグマ・オブ・アナスタシア」という本は、リタイアしたMI6関係者からもたらされた情報のようだが、今たしかめてみると、皇帝が離れ離れになったアナスタシアに送っていた真珠の話はフィクションのようだ。が、読めばわかるように、たくさんの関係者へのthanksがあり(欧州系貴族)、フットノートがきちんとついている点では、フィクション的ではない。

 

前書きにサイトが記載されていた。

http://www.thelostromanovicon.com/documents.html

 

表紙にはウラジーミルの生神女が真ん中に描かれ、子供のアナスタシアと、老いたアンナの写真が対で置かれている。

 

それと、アンダーソンの信頼を得た若い駆け出しの作家Lovell氏が書いた「アナスタシア、ザ・ロスト・プリンセス』があるが、日本では角川が立派な本をハードカバーと文庫と2タイプ出していたが、英語版をかつてとりよせて驚いた。絶版だし、あまり有名ではない版元で、且つ印刷も粗悪。歓迎されない出版だったということがわかる。作者もなぜか早逝している。

 

これは彼が信頼を得て、密着して書いたものなので、彼女が重大な告白をしたときは、映画「キングコング」を一緒にみたときであって、その様子が事細かに書き込まれている。食事をしたレストランやこの夫妻の奇妙な行動の数々も。

 

この本では皇太子誕生の前の流産が、実は女の子だったために、オランダへ里子に出されたということで、もうひとりのプリンセスも追跡している。歴史的には想像妊娠と言われていた皇后の懐妊。

 

日本語という言語障壁のおかげで、だから真実は日本人の一部のひとたちには流布しているということだと思う。角川のハードカヴァー版は、本当に美しい本で、手乗りインコを二匹手にのせている斜め後ろからの、白い毛皮のショールをまとったアンダーソンの姿が、表紙にになっている。翻訳も流麗で正確。一流の本なのだ。

 

インコは、プリンセスが大の動物好きだったことと一致するし、また、当時自撮りするほど写真マニアだった面影も、この伝記のなかでは伝えられている。あれぐらいの年のひとがそんなにカメラに詳しいわけがない。

 

歴史は偽装されていたわけだ。翁が、「病気にならなかったら、と思うことはありませんか?」という問いにこたえて、「それは思わないが、露革命がなかったら、とは思うことはあるね」とかつてインタビューで言っている。

 

アンナアンダーソンの夫、マナハン教授が亡くなったあと、シャーロッツヴィルの家から消えた(盗まれた)、ロマノフ家父祖伝来のイコンのゆくえが気になる。この本の重要な部分である。

 

今日は、「ミハイル・アンド・ナターシャ」という、大公夫妻の伝記がロンドンから届いたのだけど、「そうはいっても、証明は難しいしなあ」と、この件からは撤退しようかと思ったのだが、その頃、たまたまというか、草津で豪雨(去年行ったので草津の気象情報を登録してあったのだ)というのが携帯メールに二度も届き、これは悲しんでいるみたいだ、と思ったのであった。

 

また、同じ頃、今日は雨なのだが、シロニャンとよんでいる白猫がやってきて、雨宿りしながら、じーっとこちらを見ている。何か言いたげだった。

 

そういえば、翁の修道名アレキサンドルは、私は英雄ネフスキーのことかと思っていたが、N神父が、翁の父がアレキサンドルとつけたかったのに、おばあさんの意向が強かったため、コンスタンチンになったのだとか。翁は、But finally he won.といって笑っていたとか。

 

アレキサンドルはロマノフ家に代々多い名前で、国王も三人いる最強の名。