昨日は、本格的なバレエを見るのは十数年振りで、上野の文化会館へ行った。前から気になっていた、英国バーミンガム・ロイヤルバレエ。見たのは「白鳥の湖」。
私はバレエを見るのが大好きだったのだが、劇場へ行くとパニック障害を起こすので、長らく行けなかった。2000何年かに、それでも勇を鼓して行ったシュトゥットガルトバレエの「オネーギン」だったが、開幕10分でダメだということが分かり、高価なチケットを無駄にしてしまった。爾来外国のバレエ団の本格的な公演には行っていない。
幸い、上野も近くなったし、英国のバレエは演劇性が強く、ロシアなどのバレエとまた違った面白さがあるので、どうしても見てみたくなったのだ。ドキドキだったが、無事最後まで見ることができて、とても嬉しかった。
ピーター・ライト版の「白鳥」は、セットがヴィクトリアンゴシックとチューダースタイルを混ぜたような(もちろん舞台は架空の国だが)重厚なもので、まず、父王の葬列がゆっくり暗い舞台を横切っていくという異色のオープニング。従来のバージョンの”モラトリアム皇太子”とはひと味違って、濃厚なリアリティがある。
一幕の宮廷シーンも、普通だと、廷臣や女官や夫人たちが踊る場面も、なぜか、男性ばかりなのに驚いた。王子と、親しい従者の若者2、3人はタイツ姿だが、あとの廷臣?は
ヘンリー八世のような衣装で、それらが合わさって群舞をする。これにはかなり驚いた。
悪魔ロットバルトの奸計にかかり、悪魔の娘オディールに愛を誓ってしまった王子が再び夜の湖でオデット姫に会っても、いったん破った誓いは元にはもどすことができない。オデットがそこで死ぬのは普通のバージョンだが、ライト版では王子も後を追う。が、しかし、そうして成就した愛のために、悪魔は潰えてしまう。ラストシーンは王子の死を悼む従者の姿で終わる。
全体にホモソーシャルな味付けがあって、しかし、過度ではないので(やはりその点は英国的)、説得力があった。古典の品格を保ちつつ、心理ドラマとして見せているところは素晴らしい。
「白鳥」というと、どうしても、ブルーのライティングをされたなかでの白いチュチュの放列といったイメージがあるのだけど、そうしたステレオタイプを離れた舞台美術や
斬新だが、斬新すぎない演出、振り付けに満足した。王子が黒鳥に愛を誓う場面では、ゴシックウィンドウに哀しみ踊る白鳥の姿が映る(王子からは背面なので見えないが)、といった演出もこころにくかった。
本当は、当日の配役は、王子がロイヤルバレエからの客演の有名ダンサーなのだが、オデット役のダンサーが前日怪我をして、キャストが交替になり、そのダンサーとはリハーサルができてないということで、王子も交替になったのだった(ただし、観客の不満を考えたのか、一幕だけ当初の配役だった)。
新キャストの二人は、オデット役がトリニダード国籍で母親がトルコ人、王子のほうも、Britishではあるがオバマ大統領風の有色系のダンサー。コンテンポラリーでは、黒人のダンサーが踊っても違和感がないが、さすがに白鳥や王子は…と最初思ったが、舞台にひきこまれるうちにそれも忘れてしまった。
バーミンガムは吉田都を世界的に有名なバレリーナとしたカンパニーでもあるわけで、自分が日本人なので東洋人が白鳥を踊っても抵抗がないのに、黒人だと?と思うのは、勝手な偏見というものだとつくづく思った。
ロイヤルバーミンガムは、ゲイの王様を描いた「エドワード二世」という演目を持っているそうで、なかなかユニークな存在のようだ。
会場は満杯で熱気に溢れていた。バーミンガムバレエは東日本大震災直後の5月、いろいろな公演や展覧会がキャンセルされるなか、日本公演を行ったことで、好感度も高い。
以前に比べて、男性客が多くなったことも結構驚きである。
文化会館の二階のレストランも昔は雑然とした食堂風だったのが、ずいぶんと綺麗になって、ロビーを見下ろすサイドは一人客用のカウンターになっていて、良い感じ。が、なぜかカウンター席には通されず、二人がけの席で、プロシュートとドライトマトのサラダとカンパリソーダで余韻にひたったのち、帰って来た。