Van der Post

今日は遠方の神社参拝に行く予定だったのだが、天気予報が盛んに雷や突風の予報を出しているので、やめた。天候もあるけれど、西洋人がヨガをやるように、基督教徒の自分が、いかに勉強のためといえ、悪天候をついて参拝する必要もないだろう、と思ったこともある。ただ、普段見られないものを見せてもらえるらしく、それが魅力だったのだが。

 

C・G・ユングは、自分の文化的バックグラウンドとかけ離れた文化や宗教にのめりこむと、足下を危うくするといったようなことを言っているが、たしかに、イエズス会の神父などで他文化研究に出向いて、ミイラとりがミイラになったという例が結構ある。主にインドやチベット文化だが。

 

今日は国際ヨガの日、なんだそうだ。一年前、インドのモディ首相が国連でそれを提唱して承認された経緯があるらしいが、ヨガを広めるというより、それを使って、観光客をより多く来印させるのが狙いのようだ。

 

国際ヨガの日があるなら、国際禅の日、国際スーフィーの日、なんでもなくてはダメなのではないか。ヨガだけあるのもおかしいと思う。

 

今日は図書館へ行って、以前手元にあった由良君美の伝記というか、弟子による回想録をもう一度読みたくて、借りてきた。

 

というのも、朝刊で、Lawrence Van der Postについての本が紹介されていて、Van der Postを多く翻訳してきたのが、由良であったことを思い出したからである。

 

Van der Postは80年代に私も結構嵌っていろいろ読んだ。ユングと親しかったという点からの興味だったので、ユングやシュタイナーについての関心も薄れていった最近は思い出すこともなかったが、今日の記事では、Sir Lawrenceは没後、かなりいろんなスキャンダルが表に出て来て、評価を下げたが、思想家、探検家として、やはり比類ない人ではあったと、記事はとってつけたように締めくくってあった。

 

Lawrenceは英国のチャールズ皇太子が私淑していて、ウィリアム王子の代父もしているはずだったと思う。今、ネットで見てみると、詳しくは書いてないが、彼の過去には粉飾が多いとか、保護下にある少女を妊娠させたとか、かなり酷い話がいろいろ書いてある。

大変な賢人、まさにユング言うところの、old wise manというのが彼の通り相場だったのだが。

 

(実はペドフィリアであった、文化学院の創始者の西村伊作のことなどを思い出した。伝記にも堂々(さすがにペドフィリアとは書いてないが)記述されていたので、かなり怪しからぬ人ではある。)

 

今日は父の日だが、チャールズは実父エジンバラ公とは折り合いが悪く、Van der Postと親戚のマウントバッテン卿を師と仰いでいた。(マウントバッテンはIRAテロによって爆死した。)

 

由良についての回想録も、学生時代にそのダンディーさと博識、美意識に幻惑された筆者が成長するに従って、師とのあいだに軋轢が生じ、遂には決裂して音信が途絶える。その後、師の訃報を聞いたところからこの小説というか伝記は始まる。

 

伝説のひとである由良君美の伝記を詳細に書こうと思えば、誰か調べれば書くことができるだろう。その意味では、この「弟子」の書いたものは、お互いのなかで愛情が憎悪に転じていった物語なので、客観性を欠いているといえば言える。

 

2008年頃に読んだときは、面白かったが、「これがすべてではないだろうな。バイアスがあるはず」と思っていた。

 

しかし、今ちらちら読んでみると、その愛憎の歪みこそが、逆説的に師の姿を浮かび上がらせているとも言える。つまり、これは「深い関わり」を持ったひとでなくては書けないものだった、ということだと思う。

 

愛情、憎悪、嫉妬、さまざまな感情が師弟のあいだに行き交った。それは親子の関係にも似ていると思う。