主日

炎暑の日ではあったが、湿度は低いのか、風がさわやかな日和だった。夕方には、家から真っ赤な夕焼けが見えた。窓の外がこんなに赤いのは初めて。

 

今日は久々に駿河台の教会へ行った。結構いつもごったがえしているので、聖堂に入る前に脇のチャペル(閉まっているが)の献灯台の前で、自分だけの静かな祈りの時間が持てて、それがとてもよかった。

 

ここの庭は、庭師を見たことがないのだけれど、誰が花の世話をしているのだろう。今日も、色とりどりの百合があちこちに咲き乱れて、とても綺麗だった。神学校の入り口の白樺の木がある周りも、いろんな花が植わっていて、キアゲハが二羽、追っかけっこをしているように、ひらひら飛んでいた。

 

あじさいも、咲いていた。なんというか、それぞれの花がとてもみずみずしく、普通の庭とはちょっと違う。こんなことを言うとおかしいと思われるかもしれないが、いわゆる、「フェアリー」がいるような、そんな感じが今日はしたのだ。魔法に掛けられたみたいな。

 

カメラを持ってこなかったことを後悔したが、こういう種類の、常ならぬ美しさは、機械ではきっと捉えられないだろうな…とか思う。

 

今日は府主教の奉事ではないからか、それとも、先週が大祝日(聖神降臨)だったからか、人はあまり多くはなかった。私の洗礼記念日は復活祭ではなく、この祭日なので、本当なら先週来たかったのだが。

 

最も若いK師が今日は説教担当で、衆聖人の記憶日にあたり、ロシアの新致命者の話をした。弾圧下などでのいわゆる「信仰表明」のありかたの話だったが、それができないひとを断罪すべきでないという趣旨で、強制収容所で信仰表明をしたグリゴリイという一般信徒と、行動をともにすることができなかったニコライという神父の話で、グリゴリイはそれでもニコライを見下すことはなかった。後年、生き延びたニコライはグリゴリイ達の姿を記録に残したという。

 

聖堂の案内係のおじさん(おじいさん?)のなかに、昔なじみの顔を見つけて、なんとなくほっとする。このひとはもう何十年も日曜ごと、こうやって奉仕しているのだなあ。

 

それにしても、あの庭、やっぱりノームとかがいるのかな…。いや、異教的なものはチャーチヤードにはふさわしくないか、とか。不思議だった。