秋の日

今日で霜月も終わり。明日からは師走と思えないほど、暖かい日が続くが、朝晩はきびしい冷え込み。ベランダ前の桜や欅から時折はらりと枯れ葉が落ちていく。

 

水木しげるが亡くなった。ニュース速報がテレビで流れ、夕方のニュースでは深大寺前でお土産屋さんなどの声も放送された。「コミック昭和史」第一巻を注文。

 

さる土曜日は、近代文学館の高見順展の最終日だったので、出かけた。こうした展示は学術的に正確になされるべきだと思うのだが、皆が知っている娘の恭子(テレビタレント)は愛人の子どもだからということなのか、年譜のなかにも一切触れられておらず、幼児のときに亡くなった正妻の子どものデータしかないのも、妙だと思った。

 

正妻には子どもがいないので、遺族がクレームを出すこともないと思うのに。事実を「なかっこと」のように見せるのはどうか。その埋め合わせのように展示の最初に、娘恭子の朗読した父親の自伝というCDが展示されていた。

 

娘、恭子さんの夫は今の内閣で、文部科学大臣になったばかりの、元プロレスラー。そして、その元レスラー大臣の前夫人というのが、ロシアの国技サンボの世界チャンピオンだったビクトル古賀の娘。ビクトル古賀は日露混血で、母方はニコライ二世の近習だったコサックの家系。古賀少年がひとりで満州から日本へ引き揚げてきた物語を以前、テレビで見た。川で魚を捕まえたりして、何百キロかをひとりで歩き通した。いつも岩塩か、塩を携行してことが印象にのこっている。

 

(このひとはごくナチュラルに、強烈に反ユダヤ主義的なことを言うが、往時のロシアはそういうものだったんだなあ…と)

 

高見の話に戻ると、展示の第二部はおもに川端康成との交流の話で、戦時中、出版活動が制限されたため、高見が川端や他の文士を集めて、貸本屋をはじめた話の資料が面白かった。各自の蔵書を貸し出して、その册数などによって収益を分配するのだが、

粗末な茶封筒に、細かい数字が書かれている。

 

病魔に襲われ続けた高見は晩年はもっぱら詩を書いていたようだが、最近のいわゆる「詩人」なんかより、ずっといい詩がたくさんあって、献本された三島由紀夫からの絶賛の手紙などもあった。三島は拝唱という言葉を使って、朗読しながら読んだ、この詩とこの詩は口のなかでころがすといっそうよい、などと言っている。

 

このひとは絵もなかなか巧く、ミャンマーとか南方での現地のイラストみたいなものや、花のスケッチなどもたくさんあって楽しかった。しかし、通勤定期のはてまでちゃんと保存してあって、遺族(夫人か?)の保存のよさには驚く。

 

川端は60年安保の直前に、アメリカ国務省から招待されて、訪米していたことも驚きだった。その時の、ニューヨークのホテル・サンモリッツ・オンザパークという、ホテルの用箋と封筒を使った手紙の展示があった。

 

川端は文学者でり、直接政治にタッチしているわけではないが、なぜか、文学にとどまらず、政治的なシーンにあらわれることが謎といえば謎だ。皇太子夫妻であった今上天皇夫妻への外国作家のご進講の音頭をとったり、と。

 

川端をめぐる謎は多く、孤児と言われるが、その出生について調べて書いた臼井吉見の本は出版が差し止められた。臼井といえば、高名な上にきちんとした仕事で定評のある評論家なので、当時驚いた。被差別部落出身云々ということらしいが…。