子どもの時間

夕方に近くなると、さすがに涼しい風が入ってくる。明日は雨だからだろうか。今朝は、夜中に千葉の方を震源とする地震があったが、夜中に目覚めて眼が冴えていた割には、感じられなかった。もっとも、このあたりは震度1ぐらいだろうから。

 

昨日も福島というように、このところ、また地震が多いようだが、すっかり慣れてしまったというか、テレビもワールドカップ一色だし、電車などでも日本チームのブルーのシャツを来た人が結構目についたりする。

 

たしかに、自然災害から国際政治まで、危機的な状況はあちこちにあるものの、一方では、花は季節になると咲き、子どもは成長し、鳥たちは営巣するというように、自然の営みは途絶えることなく続く。

 

月の表側と裏側のように、よいことも悪いこともどちらもあるのだけれど、人はどうしても、悪い方に眼が行きがちだし、記憶にも残る。

 

明日のことは分からないし、ましてや確実な将来というのは誰にも分からない。時間軸を意識し出すと、ひとは突然いろんな不安に駆られてしまいがちだ。

 

子どもや動物はその点、時間を意識して悩んだりはしない。植物はもっと。

 

今日は、図書館に本を返却に行って、児童図書をあれこれ見ていたが、自分が子どもだったころの「時間」がしばし還ってくるのを感じた。懐かしい本があるからだけでなく、「時間」の過ごし方があのころは違っていた、という、あの感覚を思い出した。

 

本当は大人もその時間を生きるのがいいのだろうが、月の裏側を見過ぎて難しくなっているだけかもしれない。