パワーシフト

真夏のような昨日とは打って変わって、今日は半分雨模様の曇り空。気温は上がらないと言ってはいたが、やはり5月の後半ともなれば、連休前や連休の肌寒い日とは違って、何かを羽織りたくなるようなことはない。

 

三島由紀夫の伝記を書いた英国人のヘンリー・スコット・ストークス氏が最近出した本をめぐって、いろいろ騒がしくなっている。

 

この本は、ストークス氏へのインタビューを氏の旧知の藤田氏というひとがまとめたもので、こういう「語り下ろし」は新書ではよくあることだ。ただし、インタビューが英語でおこなわれ、それを日本語でまとめたために、「いきちがい」が起こってしまった。

 

というか、私も昨日ぐらいにやっと「こういうことなのか」と真相がつかめてきたのだが、この本に問題があったのではなく、この本をめぐって、おかしな報道をした共同通信の方にむしろ問題があったというのが大筋だろうと思う。

 

一連の経過は以下によくまとまっている。

http://blogos.com/article/86301/

 

実は私も、買って読もうと思っていたのだが、この「捏造」報道を真に受けて、「ストークス氏もしょうがないなあ。もっとしっかりチェックしないとダメじゃないか。読んでも仕方ないかも…」と思い、図書館で借りることにしたら(安い本なのにそれでもお金を払うのが無駄なように思えたので)、ウェイティングリストが多くて、やめてしまった経緯があった。

 

実際のところ読んでみたら、ストークス氏の論調は、南京大虐殺の「虐殺」という言葉は適切ではない。なかったということではないが、「事件」と呼ぶべきレベルであって、誇張された「虐殺」ストーリーは、欧米のジャーナリストを金で買収して本をかかせた国民党の宣伝工作である、というものであった。

 

これは至極まっとうというか、冷静な議論だと思うが、それを「虐殺はなかったというストークスの論を翻訳者が捏造、加筆した」と歪曲して共同通信が報道したというのが真相。

 

この第一報が出たときには、文字起こしの作業をした女性が、藤田氏のやりかたに納得できず、ストークス氏の意図を歪めているので、仕事を途中で降りた旨の、メールなどの報道もあって、ますます、「捏造」の印象が強まった。

 

ただ、私はこの女性のメールを読んだとき、まったくの直感だが、妙に正義感があふれた、しかし、具体的でない内容に疑問を感じて、しかも、この女性のメールが共同通信の報道を補強するかたちで出て来ていることにひっかかるもの感じたのである。

 

私はそもそも共同通信にあまりよい印象を持っていない。

 

なぜか分からないが、共同通信にはカトリック信者が幹部に多く、しかも、カトリック左派といった感じで、元社長がカトリック新聞に社説などを時々書いていたが、あまり好印象を持てなかった。

 

しかし、共同と言えば、地方紙への配信をネットワーク化しているわけで、その影響力は計り知れない。むしろ、首都圏にいると、「共同配信」のニュースや記事は読めないというパラドックスにもなっている。

 

(皇太子を廃太子にという、過激な言葉で論陣をはっている、今上天皇のご学友も、共同だったはず)

 

ストークス氏の本はすでに10万部売れていて、それが面白くないひとたちがいたのかもしれない。

 

残念なのは、南京問題だけ論じられて、このなかで語られている、氏の子供時代の話などに注目するひとがいない(わけでもないだろうけど)ことである。氏はグラストンベリーアーサー王伝説の)の出身で、子供の時に、ある日、町にアメリカの戦車がやってきたのを見て、自分の国がアメリカに支配されることになることを直感したのだという。敵国はドイツであったにもかかわらず。自国の文明の終わりというか、パワーシフトを子供ごころに体感したという、このあたりは非常に興味深い。

 

米兵たちは、グラストンベリーの町を、チューインガムをまき散らしながら、戦車で行進していったということだ。

 

三島由紀夫が数あるジャーナリストのなかから、彼を選んで親交を結んだというのも、これを読むとよく分かる気がする。

 

三島事件の数週間前に、帝国ホテルのレストラン「フォンテンブロー」で彼に会ったのが最後になったが、その時に三島は「ヘンリー、日本語を学ぼうをしないなら、これ以上日本にいても得るところはない。荷物をまとめて、国へ帰ったほうがいい」と言われたそうだ。

 

ある意味、日本語の読み書きにもっと熟達していれば、今回のような問題は起こらなかったとは言える。このゴタゴタで、完全原稿の英語版も計画されているようで、それなら却って、禍い変じて福となるのでは、と思う。

 

昭和天皇の国葬の日、ストークス氏が堤清二を訪ねて、二人で、「などてすめろぎはひととなりたまいし」を幾度も唱えたのだという。三島ととくに親しかったひとと、ときをともにしたかったので、訪ねたということだ。

 

自分の日本語は拙いが、この一文にはパワーを感じる。サイデンステッカーもそうだったし、自分も、この句の持つ不思議な力に魅了されていたとストークスが書いていることが興味深かった。

 

実は以前、伝記執筆の経緯をストークス氏が講演したのを聞いたことがある。そのあとの懇親会で、直接お話することができたのは得難い体験だった。