オカルト

よく晴れた爽やかな五月の朝にふさわしくないタイトルだけれど、私の生活を支配している(というかされている)、ある種オカルト的なものと、その危うさについて書きたい。

 

こういったことは、一般にはシンクロニシティと呼ばれるものなのかもしれないが、人間の「意識」や「認識」がどうやって「現実」に影響を及ぼすのか、そのメカニズムは分からないが、どうもそういうことはあるようだ。

 

私の場合、不可思議な夢をよく見るのだが、それと呼応したものが、身の回りで目に入ることがある。(そういえば、決して「そういうことが起こる」わけではない)。

 

あるとき、「カニが出たら、隠すのよ」とある女性がアドバイスをする夢を見た。そして、そのあと、海の傍に畑があって、浜辺に座礁した船が横たわっている、というものだ。

 

「カニ?」とチンプンカンプンだったが、何となく気になった。夢の後半は、私の夢の挫折のように思われたからだ。

 

そうしたら、しばらくたってから、かにを扱う店からメールが届くようになった。これまでその店からメールが届いたことはないのに。そうして、何でも突き詰めて考える私の(よくない)癖で、そのメールの届いた意味について、タイミング等について、いったい誰が(人はあるいは何らかの「意識」か)それをどういう意図で行っているのか、あれこれ考えるようになってしまった。

 

そうすると、想像は歯止めなく広がり(だってあらゆる可能性があるわけだから)、自分の行動を縛るようになった。

 

こうなると、危険である。これを無視しようとしたが、送られて来ると、どうしても考えてしまう。本当にノイローゼ状態だった。そうして、昨日ふと思いついたのだが、広告メールなのだから、配信停止にすればよい、ただ、それだけのことだった。

 

ところで、それにも「勇気」がいった。「もし、これが何かの警告かなにかだったら…」と思うと、止めることさえ、逡巡した。

 

しかし、冷静に考えて、こういう精神状態がきわめて危険なこと、また、行動の規範を「恐怖」を避けることに置くと、それがだんだんエスカレートして、不健全なものになるのは、「放射能」で体験ずみ、である。

 

もっというと、それに類した体験を過去にいくつかしているので、私のなかで、「ここが分水嶺だな」というものを感じた。

 

そうして、止められたわけだが。

 

私の知り合いのなかで、クリスチャンの女性でこうしたパターンにはまっているひとを何人か(少なからず?)知っている。意味の過剰な読み込みは危険につながっていることを再び思い知る五月だった。