眠っているあいだに何度も何度も、ここに書いてはいけない、というようなことを言われるのだけど、唯一、私の実態を書けるのがここで、さらに2、3年もPCを開けることさえ禁じられていて、すっかり「伝える力」が衰えているのかな…と思うが、そういうことを書くと、また彼らが「確定貧困」「確定貧困」と歌うので、気をつけなければならない。

 

だから「寒い」とか「痛い」とか「痒い」とかも、言うこと自体が、「そんな人生に…」「そんな人生に…」というので、自分の気持ちを言うこともできない。でも、それには限界があるから、思わず知らず言っているけど。

 

困ることだらけで、なおかつ、怖いことでもある。先日、駅を出て信号待ちをしていたら、

「通りゃんせ」の音楽が流れた。

 

そこの信号にはそんな音楽は流れていないはず。実際、その次に通ったときは、流れなかった。なぜなのだろう。

 

そんなことは日常茶飯事。PCでアクセスできない記事があったので、そのままにしていたら、

次にさきほど開けると、カナダの大寒波のニュースが流れていて(ここで彼らが「自殺行為」と歌っているが)、なぜカナダかというと、禁じられているが、ジンジャーエールを時々飲むからだと思う。

 

ニュースで、高速道路でトラックを追い越そうとした女性が嫌がらせで横転してしまったとかを見たら、それが暗喩になるらしく、突然、Gが出てきて、裏返しになってバタバタしている。

 

もっと怖いのは、これは昔から時々あったけれど、私の真似をするひとが現れて、同じようなことをしたり、そんな含みのあることを匂わせたりすることである。

 

最近では、私の属する数少ないコミュニティのなかでの人々、とくに女性が、まるで私のように振舞ったり、あるいは私の思っていることを、まるで木霊のように話すことで、不気味である。

 

そんなわけで、どこにいても、気を許すことはできないし、警戒警報が鳴りっぱなし状態である。

 

彼らは非常に頭がよく、しかし、私の脳内音楽のようなものなので、言葉はしばしば誤解であったり、語呂あわせをして変わっていって、それも困ったことである。

 

たとえば、最近は何かというと「猫ふんじゃった」といって、これも「よくないこと」なのだろうが、さきほどは「猫踏ん張って」というふうに変わっていった(というふうに聞こえる)。

 

だから、「あんまり気にしない」ということぐらいしか(ここで処方箋という言葉を使おうと思ったがそうすると病院・クスリといった禁止事項に触れるのでヤメ)私にはできる対応はないだろう。

前回書いてから、今気づいたのだけど、もう1ヶ月経ったのだった。

 

「彼ら」は私がここに書くことを著しく嫌っていて、なぜなら、いろいろな人がここを見ているのだという。カウンターのアクセスは日に多くて、2、3、ない日もあるし、だいたい1ヶ月も新しいエントリーがないのだから、そんなにいろんな人が見ているはずはない。

 

が、夜中に、このことで責められたりするのが嫌だし、無防備な状態なので怖くもあるし…ということでどうしても及び腰になってしまうが、ここが唯一の私の生存証明なのだから、そんな遠慮をする必要もないと考えた。

 

眠っているうちにいろいろ告げられることが、果たして外からのことなのか、はたまた自分で

反省も含みながら行動様式を無意識に考えているのか、よくわからない。混じっているのかもしれないが、たとえば、スマートフォンのアプリを(新規にという意味だと思う)入れてはいけないというのを聴いた気がするので、そういうことはしていないが、今朝はOSのアップデートの連絡が来ていたので、やってみたら、その直後だったか、大きな地震があったので、驚いた。

 

たまたま偶然だと思うが、そもそもPCやスマートフォンを使用することも、外界に不要な「接続」をつくるという意味らしく、妨害というほどではないが、嫌がられているようだ。

 

しかし、これでさえも、私がたまたま就寝中に聴いたと思ったことが固着して、その意識が、

しばしばwi-fi接続が途切れてしまうことに繋がっているのかもしれない。というのは、「もしかして、そういうことかな」と思うようになってから、あまりwi-fiが切れることはなくなったようなのである。

 

それにしても、先月は、「私の外出」「私の考えた事」がまるで一対一対応のように、さまざまなことを引き起こしたので、本当に一ヶ月が一年分の長さであるような、大変な月だった。

 

この2、3年、11月はなぜか毎年のように、波乱の多いサイクルになっていた。

 

 

先週来、奇妙なことが度々出来するようになった。

 

昨土曜日、つまり10月の30日だけど、「夢」人格といろいろなやりとりが激しくなって、

打擲と朝令暮改が酷すぎるので、これまでも何度もしてきた独立宣言のように、もう自分の判断で生きて行くことを告げた。

 

昼も夜も、私の行動や人格評価を聞かされるのは堪らない。

 

その晩、9時ごろに、激しい地震で起きたのだが、地震は起きていなかった。そして、「お前を家ごと吹き飛ばしてやる」みたいな、メッセージを聞いて驚いたが、こういうものを「信じる」こと自体、耳を貸すこと自体、相手の術中にはまってしまうので、静かにしていた。

 

実際、超常現象は顕著に激しくなってきていて、今朝もテレビの語学番組をちょっとだけつけたら、先週と同じものをやっている。以前も、別語学でそういうことがあった。

 

さらに、先週金曜日に、遠方の小公園の池でカモの写真をたまたま撮ったのだが、翌日家でPCを開けてみると、水のなかで泳いでいた三匹のカモが水から上がりがてに、池のふちを登っていくものになっていた。

 

彼らは、常に「パソコンに貧困(愛着のこと)」、「ブログにこだわる」と、PCとブログに

敵対的な言葉を吐く。なぜここまで憎むのか理解できない。彼らのことを書いているからかと思うが、それ以前にも、そうだった。

 

昼間の「実況未来中継」も困るし(人の話に彼らの言葉が混ざってしまう)、夕方から激しくなる彼らの独断場の、轟音や人工地震的なものも、まったく迷惑至極で、さらに、「今夜は眠らせない」というのも、たびたびで、先週は疲労が累積していた。

 

それに、彼らは本来つながっていないものをすぐさまつなげてしまい、たとえば、たまたま

レンジのファンクションキーを押すと、それと、人物を結びつけたりして、未来を語ったり、

神経が張り詰めっぱなしである。

 

文章を書くと、現実化すると彼らは言う。しかし、それだと、発話することも不可能になってしまうし、私はこんな理不尽を最初に認めてしまって、洗脳状態にあるために窮地に陥っていることをなんとかしないと、と、巻き戻しにつとめているのだが…。

 

私が言うことを聞かないので、もっと締め付けを厳しくすると言っているが、そういうことを信じること自体、現実化を招くので、忘れることにしている。

 

こういうことは、眠っているときに刷り込まれるので、無意識の領域から払拭するのはとても難しい。だけど、少しずつやっていかなければならない。

 

 

「人生の秋」になって思うことは、若い時はわからなかったこと。若さというのはアロウガンス。翁をめぐるあれこれのなかで、深い孤独、天涯孤独の憂愁を感じるようになった。季節は秋。この数年で苦手な季節になった。超えなければ、と思う。

昨晩、10時半過ぎ、地震速報で起こされた。その前の晩は、夜半に東北で震度5強の揺れが

広範囲にわたってあって、こちらも1ぐらいはあったような気がする。幸い、昨晩のは、このあたりでは珍しく震度5ぐらいはあったけれど、私自身はあまり感じなかった。

 

気象庁の発表によれば、10年前の東日本大震災以来の、首都圏での強い揺れだったそうで、しばらくは警戒が必要のようだ。

 

あの当時のことがいろいろ甦ってきたが、あのときの激しい揺れ、揺れた時間の長さなどは、今回、私のところではなかったが、昨日の東北での揺れは、午前と午後との違いはあれ、あの時と同じ時刻だったことが、話題になっている。

 

こういうことですぐ、えすかとん、みたいな短絡的思考に走ってはいけないと思うけど、揺れがあって、いろいろな人が家具などを支えた話を聞くと、今の自分の生活を守るために、かつて言ったように、いろいろなことが起こるので、あとらす、のようになって、支えている、そんな自分を感じたり。

 

 

昨晩も疲れ切って例によって早い就寝だったのだけど、夕方6時ちょっと前ぐらいに日本海溝震源とする地震があったらしく、揺れを感じた。揺れたのは不思議なことに太平洋沿岸で北海道から関東ぐらいまで。ここでも北海道と同じぐらい揺れた。

 

ちょうどその頃、半睡状態ながら、いつものように、night creaturesとの応酬、布告と抵抗みたいな繰り返しですっかり疲弊していたところだったので、ふと、自身との「共振」とか、あるいは自分が起こしている?みたいな感じもあったのだけど、そういう「思考」を本当にもうやめなくちゃと強く思っている。

 

冷静に考えると、普通のひとに説明してもわかってもらえないが、自分の思考が外に、「客観的な」「声」「歌」、あるいは脳内メッセージのかたちで出てくるということが一方であって、それは超常現象だと思うが、他方、それらの「思考」のタネのようなものは、私が現在、過去に感じている不安や恐怖だったりするので、「彼ら」の歌やメッセージはそこから発生するのではと感じている。

 

つまり、超常現象と無意識の発露が混じり合ったものではないかというのが今の私の分析だ。

 

ただ、ゴミ屋敷の例にみられるように、あるいはhaunted mansionがだいたい掃除されていないということからわかるように、彼らの世界は「掃除」を嫌う。

 

そうして、ここ2週間以上、いろいろ掃除や片付けをしていることで、夜中の攻撃(口撃)が激しく、それが不眠を引き起こし、さらに私が外へ出て行くきっかけにつながるという、悪循環(良循環?)になっている。

 

彼らは、土着の古いスピリットのようでもあり、また、地球外生命体のような印象もあって、

さらに、非常に言葉に厳密であることが私の苦しさにもなっている。言葉が現実化する世界になっている(ようである)ので、彼らが望ましくないことを言えば、逐一訂正していたが、

それでも反論されるだけであるし、それが続けば疲れてしまう。

 

「お前がやっていることがひとを傷つけている」とか、「今、これこれを思ったので、こうなってしまった」と夜中にあれこれ言われ続けることが3年以上続けば、普通の精神状態でいららるわけがない。

 

さらに、奇妙というか不可解というか、過去において、私の周りにいたひとたち、別に深い関わりがあってもなくてもだが、そんなひとたちの、「ひとこと」がまったく無修正のかたちで(つまり大意とかではなく)ぽろっと投げてこられることが驚きだ。

 

自身が思い出すことがあっても、普通「あのとき、あのひとがそういえばこんな感じのことを言っていたなあ」ということになるのだが、一言半句違わずというか、正確な「再現」なのである。

 

アクセントや、語調、そのひとらしい言葉づかいなど。なんだか気味が悪い。

 

ようやく朝が来た。薄い水色の明るい空に、コーラルピンク色に染まった雲の帯がかかっていて優しい朝。

ひとつ前の記事の終わりがわかりにくいので補足すると、ぬいぐるみやマスコットに愛着するのは「厳禁」なのだが、全部なくなったあと、2年前にひとつだけ買ったもの、それがあることが攻撃されている。

 

さらに、タオルハンカチがなぜ?と普通思うだろうけど、タオルは「温泉」として厳禁、ハンカチも真四角は厳禁、なぜかというと、真四角は暴力人間のシンボルだからなのだそうだ。

冷静に考えればまったくナンセンス。彼らの論理では、「温泉」に特別な意味、つまり伝統的な芳しからぬ悪所といった意味が、が付与されている。

 

私は決してそういう生活はしていないのに。