睡蓮

昨日は近所の公園にちょっと散策に出かけた。大公園なのだが、日曜日なのでたいそう混雑していたけれど、睡蓮が咲いているというので私が行きたかった日本庭園は、ひっそりとして、静かだった。

 

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なぜかわからないが、睡蓮の花が好きだ。睡蓮の咲く環境に熱帯、亜熱帯のけだるい雰囲気があるからだろうか。でも、花自体は、きりっとして、余分なものがなく、なんとも美しい。

 

庭園に面して茶亭があって、お茶とお菓子をいただくことができる。抹茶と練りきりの和菓子を食べながら、静かな庭園をのんびり眺めた。

 

古い知り合いが住んでいた療養所があって、その家はもと外国の女性宣教師の家で、彼女のコミュニティでは「光の家」と呼ばれていたのだけれど、今は(というかもう取り壊されているのだけれど)睡蓮舎と呼ばれていたのだそうだ。(本人は知らなかったのかもしれないが、管理上はそういう名前で呼ばれていた)

 

蓮は泥のなかから花を咲かせる。そうした深い意味は、後づけでしかないし、たまたま偶然だろうけど、たんぽぽやひまわりではなく、睡蓮と呼ばれていたということが興味深い。

 

あるとき見た夢で、私は蓮池のほとりにすわって、アラビアのロレンスと語らっていた。別に、彼がアラブ風の衣装をつけていたわけではない。でも、それはロレンスだったのだ。それは懐かしく穏やかな感じのする夢だった。

 

最近は、悪夢とかも、あまり気にしないようにしている。まあ、座禅のときに、いろいろあらわれるイメージをそのまま流してしまう、そんなものなのかもしれない。

 

それを「キャッチ」してしまう、つまり「こだわって」しまうと、それが、また何かを生み出してしまうのだろう。それがいわばカルマということなのかもしれない。

 

最近、ベストセラーを連発している若いお坊さんがテレビ番組で暮らしを紹介していたが、通信はファクスだけ、メールも電話もなし。原稿は手書き。人間関係がうまく行かず挫折の連続で、田舎の寺に帰って親にすすめられた座禅をやったところ、落ち着いた。それで住職を継いだということだった。

 

「つながらない」生活を提唱しているが、まあ、たしかにそれには一理あるだろうと思う。しかし、度を超えるとそれも問題で、適度な距離を保ちながら、「つながる」ことがよいのかもしれない。

 

睡蓮の醸し出す静けさを味わっていると、沈黙ということの意味が分かるような気がする。

 

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