低気圧一過の朝。
豪雨だ、なんだと、いろんな警報がヤフーからメールで送られてきても、当たったことがない。地震や津波と同じで過剰警戒の感がなくもない。そういう予報が出れば、火急の用事でもない限り、やはり、外出を思いとどまったりするわけである。あまり警戒して、チャンスを逃すということだってある。
展覧会や絵との出会いも一期一会。
少し前になるが、久々に都心に出かけて、英国の唯美主義の展覧会を見て来た。ロンドン、パリ、ワシントンをを回って最後が東京。
工芸品や書籍もよかったが、大きな絵画が圧巻で、絵画ばかりの展覧会は飽きるが、三菱一号館のクラシックな天井の高い、小部屋形式の展示で、工芸品に混じって、アクセントのように配されている絵画は、感動もいや増す。
眼を惹いたのは、ワッツの、「The Dweller of the Innermost」(内奥の世界の住人という邦訳がついていた)という絵で、絵自体は、あの「希望」という、切れた弦のハープを持つ、目隠しされた少女の絵と雰囲気や構成が少し似ているが、全体に暗い色調で、描かれているものがわかりにくいのだが、要するに、ひとのこころの「住人」である「良心」といったものが、矢とトランペットを持っている、という絵柄だ。
タイトルもとてもよいし、こうした寓意画がありえない、現代の日本においては、ことさら私にとっては魅力的であった。
しかし圧巻は、バーン・ジョーンズの「弓を持ち鳩の群れの下で子供たちに囲まれて立つアモル」(Love with Bow surrounded by Children and standing beneath the Cloud of Doves)という超長いタイトルの、刺繍の下絵である水彩画。これも縦長で、ニメートル以上ある大作だ。
バーン・ジョーンズのよくある天使と言えばそうなのだが、これもたいそうな迫力でせまってくる絵で、「神曲」の一節をモチーフにしており、絵のなかにも書かれているが、「愛」の力というものを感じさせる絵だった。彼にとっては「愛」はひとつの宗教、信仰のようなものなのだな、ということがよくわかった。なにか、心臓を揺すぶられるような、力強さを感じる絵だった。「神曲」からの引用は、「太陽と星々をも動かす愛」。そういえば、彼の絵で子供が出てくるものは比較的少ない。
そのほか、やはりバーン・ジョーンズのオルフェウスをモチーフにしたラスター彩の皿とか、彼がデザインしたブローチとか、室内履きのデザイン画など、小品で魅力的なものがいろいろあって、楽しかった。
ランチを食べに寄ったミュージアムカフェは、もと、横浜正金銀行のカウンターだった、クラシックなとても美しい建物である。
帰りは東京駅まで歩いたが、リノベーションされた東京駅は、昔からある丸の内側のドームの内壁装飾や色がとても美しく、加えて、道すがらのビルに知らない新しいものがたくさんできていることに驚いた。
やはり、いろいろな意味で、東京にこれだけ活気があることは良いことだと思う。震災直後の展覧会のキャンセル続きの時期を思い出すと、感無量。どんなものも、それを下支えしているいろんなひとたちの力があってこそ成り立っている。
パンは大事だが、やはりひとはパンのみにて生きるにあらず。芸術の力を改めて再認識した日だった。