夢と現実

どうも、夢に悩まされて困る。夢はしょせん夢と思っているのではあるが、何年ぐらい前からか、妙にディテールが凝った夢になり、それらのディテールを構成しているものたちがすこぶるリアル(実際の持ち物だったり、自分が体験して忘れていることだったり)なので、動揺してしまう、というパターンだ。ディテールは花だったり、洋服の柄だったり…。

 

割合慣れたので、北国にいた時代ほど激しく動揺はしなくなったが、しかし、だいたい「望ましくない未来」をそれらは暗示しているので、起きがけの気分は最低である。

 

以前は、それらをあれこれ考えたり推測したりしていたが、そのように拘泥するのはよくないので、最近はなるべく「すぐ何かする」「やっていること以外考えない」ようにしている。

 

今朝もそんな夢で目が覚めたのだが…。フランスの国旗のある大きな御璽のようなハンコで房がついたようなものをしっかりと押している…。

 

これは、私が「リベンジ」をして以来、リベンジの分野からenemyを駆逐することにより、私の関心事(究極の関心は別にもっと奥にあるけれども)にenemyが向かってしまうのでは…という自分の懸念をあらわしているように思う。でも、フランスは私の関心の対象外なんだけど…本当は。

 

こうやっていろいろ考えると、夢は、ディテールをかき集めた結果生まれた私の「怖れ」の部分が大きいが、それに拘泥することにより、より現実化の力を持つようになり、ひいては、よく理解できないことだが、他人の思念までもそれに影響されているようにも思う。ブログの検索ワードなどを見ると、相互干渉をしている感じがする。

 

そうなると、すべては、自分の怖れやためらいが生んでいる、”妄想”悲喜劇みたいなものなのだろうか?

 

100%そうとは言えなくて、ある程度ということなのだろう。夢のなかにはいろいろな要素が混在しているのだろうが、今の私は、ネガティヴなセンサーのようになっているのかもしれない。

 

セルビアの著名なスターレツの書いたOur thoughts ditermine usという本を持っているが、このタイトルは示唆的である。

 

夢はそんなカオスなのだけれど、ただひとつ、昼間に起きていて見るビジョン(脳裏に浮かぶものといった感じ)ははっきりと警告というか有用な情報を与えてくれて、キケンを知らせてくれるわけだが、不思議なことに夢見のときに感じるような「怖い」とか「不快」な感情は一切生まれない。きわめてニュートラルで事務的でさえあるものだ。

 

ああ、こういうことがあるので止めたほうがいいのだな…とか。至極納得できる内容である。あれこれ迷うこともない。まあ、あんまりそれは現われないが。原発事故もそのひとつだったが、あとは個人的なもの。

 

おそらく夢のほうもまったく間違いではないが、まだ現実化していない段階の低層階にあって混沌としている何かのなかから、睡眠中の脳が拾ってくるものなのだろう。

 

つまりこれら全体を統合して、人格というか、醒めた昼間の意識でしっかり取捨選択することと、できるだけ意識をポジティブに保って、自分や外界に悪影響をもたらさない、ということが重要なのだろう。

 

まあでも、それと、言論界で正当な批判をする云々は全然別の話である。私のリベンジは本の話であるが、日本は内輪ぼめの世界で、批評というものが成立していないことが問題だと思う。評論家はいても、ちゃんとした批評家不在の世界なのだ。本も映画も美術も。

 

しかし、最終的な駆動力というのは、やっぱり「感情」「情動」なのだろうと思う。夢からいろいろ考えたことは所詮、アタマの所産であるが、「リベンジ」をさせるのは、「情動」だからだ。