記憶と時間

このところ小雨が続いたけれど、今日の夕方から雨もよう、それも線状降水帯が発生するらしい。そして二日ほどは涼しい日が続き、そのあとはまた酷暑が来るという。

 

ブログ元から、毎月、過去記事を振り返りましょう、というリマインダーメールが来る。昨日来たのを読んでいて、ちょうど一年前の記事に、敷地内を歩いていて、いつもとは違う道を歩いたら、サルスベリの樹をいくつも見つけた、と書いてあった。

 

たしかに、その発見には記憶があるが、それは私の記憶の中では、つい数ヶ月前みたいな、最近の発見のように思われていた。しかし、よく考えると、この花が咲くのは今の季節、すなわち夏だから、ついこの間というわけではないだろう。

 

まるで時間が早回しされているようで、クラクラした。あっという間に一年経った?

 

しかし、さらに考えると、一年前に「発見」したことを忘れていたのかも知れず、この夏のはじめに再「発見」したのかもしれない。

 

珍しいものや変わったものに目をとめやすい、自分の思考のクセみたいなものがあるような気がする。他の人には全く興味が惹かれないものや、状況に目を向けるクセみたいなもの。

どうでもよいことをよく覚えているというか。

 

ワームや夢が尋常ではない何か「霊」のようなものであるのは確かだが、普通の人は無視するか、あまり気にせず、通り過ぎるようなものであるかもしれないのに、私があれこれ考えるから定着してしまったのか、とか。

 

いずれにしても、私の思考や思い出したものをそのまま復誦したり、あるいは状況から未来を

(勝手に)予見して歌ったりが、もう7年になる。

 

時々は、私のアタマの中を読むのか、「常にさいわい」とか「おおよそ息あるものは・・」

などと歌っていることなどもあって苦笑。

 

それにしても、状況や彼らの予見に合致するようなものが、たまたま通り道に落ちていたり、

そういう人間が現れたり、予兆的なTシャツを着込んだ人に遭遇するというのは、どう考えても、そういう状況を繰り出すのは、無理な話である。普通に考えれば、私の思考がおかしいということになるのだろうが。

 

まあ、最近は「そうなんですかー」ぐらいに軽く流しているが。