ふと振り返って考えた。以前書いたように、暴力人間に遭わないため、そして大切なひとに会うためにはといって、「読む」と「書く」とを取り上げられて、その間、2年ほどだったと思う。

 

今は、もう、ある時期から、それらを復活させているけれど、そのほかにも、「避けるべき」と言われているいろいろなカテゴリーがあって、その数が多くなっているので、最初、数年前に私が見た「苦しんでいる私」のヴィジョンというのは、それを避けるためではなく、これらを「取り上げられた」結果ではないか、と、この2、3日考えている。

 

あと、最近、私がオーメンと呼ぶものがさらにひどくなり、木の伐採も最近大々的に行われ、

枝葉をもがれた木々が切り口のコブを見せて、2月の空を背景に立っている。

 

これは、コロナに抗するに、風通しをよくするためかとも考えたりしてみたが、美観的にもおかしいし、そこまでする必要はないと思うのだが…。

 

よく眠れない日が続き、医者に行くことも禁忌なので、少しお酒を飲むと、夜寝ているときに、ひどい叱責のようなもので起こされた。

 

暴力人間が近づいているというのだが…。しかし、これも数年前から言われているわけで、

いまさらという気もするが、このあいだの雪の雪だるまに草で数字が書いてあり、

デッドラインというのだろうか…。

 

こんな気味の悪いことばかりで、途方にくれる毎日。そして時として、精神的限界がやってくる。