三つの力

先に書いた記事ですが、おともだちへのコントロールみたいに感じられてまずいかしらと少し思っていたのですが…。

 

「次」の女性のおともだちへのコネクトが強力に始まったようなので、少し強引な書き方だったかもしれません。

 

実際、この戦いは「運命に抗する」と私が言っていますが、現実には厳しい面があります。性質の違う「力」、いわば「実力」の勝負です。

 

「妊娠」の女性のほうはその女性性をパワフルに使っておともだちに向かってくるわけですが、それを仮に「妊娠実力」と呼べば、私のほうは、その心組み、運命を超えてみせるという精神力、「精神実力」での戦いです。

 

「妊娠実力」は自然から与えられたもので実践へ向かう力を強力に持っているのに対して、私のほうは精神のパワーなので、自然に備わった女性性と力で争っていくときには、残念ながら少し立場が悪いのです。

 

自然の力はなんといっても、駆り立てるような「ビストロ」な力を持っています。

 「急げ、急げ」と。

 

頑張っていますけれど、分が悪いのは当然です。今晩も、「妊娠実力」が力を増してきて、かなり私が「別人」のほうへ押されかかっているという突然の警告があって、夜中に起こされたりしました。

 

おともだちはそのはざまにいるわけですけれど、このように私の側が「気力」だけで勝負しなくてはならず、アドヴァンテージが少ないことをわかってもらいたいのです。二人の力の性質が違いすぎることを。

 

自然の力に引きずられてしまうことは、おともだちの悲劇にも、私の悲運にもつながります。その意味でこの戦いは、ひとえに、おともだちの人間としての理解力にかかっていると言っても過言ではないと思うのです。これも仮に「人間実力」と言いましょう。もちろん私はおともだちは過去の蓄積でそうした力を十分に持っていると思うし、信頼もしているのですが。

 

この三つの性質の違ったパワーのいわば三つ巴の戦いなのだと思います。そうして、それを現実の力に変えていくことのできる「実践実力」がとくに、「精神」や「人間」については求められていると。

 

私のほうは、おともだちの「人間実力」を頼みにするしかなく、女性らしい振る舞いや思いでおともだちに向かっていけないことを、今はとても残念に思うのですが…。

 

この戦いだけでなく、今の生活は常におびやかされていて、昨日は電車で出かけざるをえない用事があったのですが、電車には乗ってはいけないのが原則なので、「偵察人」が動き出したのだそうです。

 

訪問者を拒絶すること、引っ越し(親族がくるか、あるいは私が引っ越すのか)につながらないことなどを、「隠れて、隠れて」と囁かれ、日に日に状況は厳しくなっていっているのでした。

 

それを暗示するように昨日は、棟の入り口に台車が置かれてありました。これは母にコントロールされる家の夢には、いつもシンボルのように出てくるものでした。

 

囁きたちは、今朝も「ビストロ、ビストロ」と歌っています。「2020年、ビストロ、ビストロ」と。