不思議な12月

 昨晩は満月で大きな月が裸になった樹影のあいだから、煌々と輝いていた。寒さもどんどんきわまっていって、早くに寝たのだが、寒さで目が覚めて、寝るときには切っているエアコンをつけた。この冬いちばんの冷え込みだとか。

 

日露首脳会談が今日の長門に続いて、明日は東京に場所を移すので、都内は厳戒態勢らしいが、さすがにこちらはその余波はない。

 

そんなときに、沖縄で輸送ヘリのオスプレイが昨日墜落事故を起こしたのだから、たいへんだ。そもそもオスプレイの導入には強硬な反対運動が続いているのだ。

 

最近のメディアが狂っているのは百も承知だが、それにしても、NHKのニュースで、「不時着」といっているのに驚いた。胴体と翼部も離れてバラバラになって水のなかにあるのに、不時着(最初は「着水」と報道したようだ)というのはどう考えても無理があるが、パイロットが人口密集地である普天間を避けてキャンプシュワブへ航路変更、すなわちパイロットのコントロール下にあったので、「不時着」なんだそうだが。

海外メディアは「crash」と言っていた。

 

もうひとつ驚いたのは、在沖米軍トップのニコルソンという海兵隊中将http://www.kanji.okinawa.usmc.mil/Commanders/MEF.htmlが、パイロットが人的被害を出さないようにシュワブへ方向転換したことに感謝すべきであるのに、「落ちた」ことばかり言い募るのはおかしいと、語気荒く、報道陣に語ったことだ。

 

すさまじい怒り方で、その勢いに「あんたたちを俺たちは守ってやっているのに

なんでこんな批判を受けなくてはならないんだ」という、在日米軍の軍人の意識をまざまざと感じた。

 

ここから数駅先にも自衛隊の航空基地があって、以前、墜落事故があったのだが、民家を避けて河川敷に墜落して、パイロットは亡くなったという話を思い出したが、民間の人的被害を避けるのは、軍人の要諦なのだろうから、この中将の怒り方はちょっと理解しにくいものがある。そのなかには、やっぱり「守ってやっている」意識があると感じる。

 

さて、ここ数ヶ月、北方領土関係の報道が首脳会談の前座のように多いけれど、昔の映像を見ていて驚くのは、あのあたりは大変素晴らしい漁場で、人々はそれなりに豊か(富裕という意味ではないが)な暮らしをしていたことだ。

 

それが、終戦と同時にソ連が侵攻してきて、ロシア人との共生がはじまり、それがほぼ3年続き、突然引き揚げの日がやってきたという。

 

驚くのは、旧住民のうち健在のひとに話をきくわけだから当然といえばそうだが、皆、80代、90代でとても元気なこと。当時は子供だったわけだから、子供時代に豊富な魚で、オメガ脂肪酸をたっぷり摂ったのが原因かも、とか考えてみたり。鮭なんかが

川からあふれるぐらい遡上してきたのだという。

 

ひとりのおばあさんの回想だったが、「あるとき、夜に大きな船がいくつもやってきて、サーチライトで海を照らして、なんなんだろうと不思議に思った」のだそうだが、

それが真珠湾攻撃のための出撃準備で、択捉島の単冠湾に集結していた軍艦だったのだ。

 

安倍首相が今月末真珠湾に慰霊にいくが(私は政治的パフォーマンスだとしか思わないが)、そんな12月に奇しくも、日露首脳会談で北方領土返還問題が議論されるのも、

なんとなくだが、因縁めいている。(ロシアは領土問題が首位の議題になることを嫌ってはいるが)

 

最近、ロシアで見つかった、日本人が引き揚げる前の、北方領土日露共生時代の写真をみると、子供達も一緒に遊んでいるし、両国民は助け合って暮らしていたらしい。ロシア人たちは、高い給料とか手当をはずまれて移住してきたひとや軍人の家族で、こんな極北へ来てという心細い気持ちもあったようで、日本人と人情的な触れ合いもあったみたいだが、今の時点での返還は難しいと思うし、もし返還されても、旧島民は高齢だし、戻ろうというひとはあまりいないだろうと思う。

 

終戦と同時に侵攻してきて、実効支配したことは国際法上どうなんだろう。ただ、中ソともサンフランシスコ講和條約にはサインしていないので、どうしようもないのだろうか。よく言われるように、ヤルタ会談ですでに、「ソ連の分け前」としての「侵攻」や「実効支配」が暗黙のうちに認められていたのだろうと思う。というより、もっとはっきりと「裏取引」があったのではないか。その結果としての、アメリカ単独占領とか…。

 

真珠湾に話を戻すと、ハワイを攻撃するのに、北方航路を使うというのは、奇襲の名に恥じないアイディアだと思うし、11、12月にはこの航路がほとんど使われないことを織り込んでのことらしく、よく考えたものだと感心する。

 

しかし、米軍兵士には気の毒だが、日本の暗号はすでに解読されていて、ルーズヴェルトはこの作戦を知っていたというのは、最近おおむね了解されているところだと思う。

メジャーなところではDAY OF DECEITという本に書かれているし、http://park12.wakwak.com/~eslab/books/pearl-h.html

真珠湾の裏切り」(HOW CHURCHILL LURED ROOSEVELT INTO WWII)はもっと奥を書いている。

 

ファシズム」との戦争の端緒を開くには、国民が納得する被害がなければならなかったわけだ。そのまた裏には、チャーチルがいたわけだし、だいたい山本五十六自体が「結社」の人間説もあるぐらいだから、最初から皆シナリオができていたのかもしれない。(山本五十六の死に対する疑念も言われている)

 

札幌の家の近くに護国神社があって、よく散歩にいったけれど、慰霊碑ばかりずらりと並んだ、「彰徳苑」というのがあって、この地の師団が派遣された戦闘だったのだろうか、アッツ島とか、北方の戦場の慰霊碑が20ぐらい並んでいて、この「苑」の紅葉は

ひときわ紅い、不思議なところだった。訪れるひともあまりないけれど。

http://s-gokoku-jinja.sakura.ne.jp/1_syoutokuen.html

 

戦争は嫌だが、真珠湾での日本の航空兵力、おもにその技能(低空飛行など)はたいへんなものだったらしく、択捉からの出港などと併せ考えると、国力、資源力では劣るが、戦闘能力は拮抗していたように感じられたりもする。

 

夜間、つぎつぎと択捉の湾深く集結する軍艦の群れ、サーチライトの明かり…を考えるだに、どきどきしてきたりする。

 

真珠湾攻撃も、原爆投下も、いずれもっと表に真実が出てきて、それが日常的なものになる日がくるとよいけれど。

 

以下に写真のある「尼港(ニコラエフスク)事件」だが、これもあまり広くは知られていない、中露朝赤軍パルチザンによる住民大量虐殺事件(1920) 。

 

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 (彰徳苑2012年11月、以下同)

 

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