世俗主義の蔓延

梅雨明けも間近。夏の雲が出てきた。

 

今上天皇がメレティ司教の祈りで誕生したかの真偽はともかく、在外ロシア教会が吸収合併された今、ロシア教会がまたますますおかしなことになってきた。「官製教会」しか認めないということか。ロシア正教の聖堂にはプーチンの肖像がかかっているところもあるのを、読んだことがある。

http://www.christiantoday.co.jp/articles/21468/20160715/russia-banning-evangelism-law.htm

 

これはロシアという国の特殊性だと思う。言論封殺があたりまえの、前近代的国家で、民衆はどんなかたちでもツアーリ、強大な権力者が好きなのだ。皇帝でも、共産党書記長でも、大統領でもいいのだ。

 

クレタ島正教会議に欠席したのは日露、ブルガリアなどだが、これで、日本正教会も腰巾着でしかなかったことがわかり、恥ずかしい。

 

今の駿河台しか知らないひとにはわからないだろうけど、ロシア人信徒というと、亡命露人しかいなかった時代の雰囲気と、今のロシア人信徒の雰囲気とは明らかに違うと私は感じる。

 

昔のが「本当の精神性」と単純には言えないかもしれないが、美術品でも本物にたくさん触れていれば、「ニセモノ」がすぐわかる。真贋判定のためにたくさん本物を見せる、オークションハウスの教育みたいなものである。

 

最近唖然としたのは、「特別聖年記念」芸術新潮の6月号。アトスの特集があったので買ったのだが、もうひとつの「聖年特集」というのが、これがとんでもないもので、仁義なき旧約聖書物語と題して、バイオレンスやインセストソドミー、満載の旧約物語の名画絵解きで、文章が全編広島弁のヤクザ言葉で、英語で言えば四文字言葉の連発。

 

この執筆者は、ヤクザ広島弁キリスト教史で売れっ子になったらしいが、なんとも

下品でいいようのない内容で、絵の選択もキワモノが多く、気持ちが悪くなった。

アマゾンでも批判しているひとが結構いるが、この特集のすぐあとにアトスの写真が続くので、ショックも大きい。

 

ただし、このアトスの特集も、駿河台の司祭の子息である写真家の写真・文で、写真自体も普通だし、ただの紀行解説文のような内容で、知識の面で不足の印象が否めず、さりとて、単純でもなにか光るスピリチュアリティのようなものがあるかといえば、それもなく、残念な印象だった。

 

キリスト教も、正教会も、アトスも、「エキゾチック」な消費される対象か…。

 

原理主義には賛同できないが、この新潮特集はひどすぎた。キリスト教界から批判がないのはどうしてだろう。また、売れれば何でもやる出版界にもつくづく嫌気がさした。「芸術新潮」は高校生の頃読んでいて、品のあるいい雑誌だったのに…。日本劣化のこれも一証左。

 

行き過ぎた世俗主義にストップをかけることは、「不寛容」とは違うと思うのだが。