タタールの平和

今朝の寒さは格別で、寒さが底を打ったという感じの、冷え込みだった。昨日今日は、寒いというよりは、空気がびりびりしているように思える。ダウンコートのファスナーが噛んでしまったので、北国を去る時に買った、重量級のアウンコートを着てエスキモーのようになって、図書館へ出かけたりした。

 

霜柱が立ったところもあるそうだが、同時にフキノトウが芽を出してもいるという。

フキノトウの、あの春先の山菜特有の苦みがなんともいえず好きな私は、テンプラにしたら美味しいだろうな、と舌なめずり。

 

ロマノフから少しシフトして、今日は現代ロシアについて少し読んでいたが、原油安や経済制裁でロシアもたいへんだが、そもそも、ロシア人は旧ソ連時代の耐乏生活の経験がある世代がまだまだいるし、90年代のソ連崩壊の際も、IMFの要求で通貨供給が激減してしまったが、物々交換に戻って行って、靴一足と野菜これだけみたいなレートが自然発生的にできたのだという。

 

また、ソ連時代は闇経済が3割とすれば、90年代の混乱期ではそれ以上だったのだとか。都市生活者は家庭菜園つきのダーチャをたいてい持っているし、正規の統計はともかく、食料自給率は高い。

 

ロシアの保守派の経済学者たちは、アウタルキー(自給自足経済)を主張しているということだが、実際、資源を持っているロシアは鎖国してもやっていける条件はあるかもしれない。資源小国日本だとアウトだけれど。

 

国民は「変動」と「耐える」姿勢が身に付いているので、やはりロシア恐るべし、というところだろう。とはいえ、底知れぬ怖さも当然あるので、単純に親露というのは甘いというべきだろうが。

 

聞いた話では、初等教育なども基礎教育をしっかりするのが伝統らしいし、大学教育のレベルも、学問大系をきっちり教えて、あまりはやり廃りのないやりかたなので、とても高いと思う。自分の知る範囲でも、若い学生など、専攻を問わず、文学を語ったり、会話の内容が深い(多分インテリゲンツィヤだけだろうけれど)。

 

欧米や日本のように、テレビにむやみと出たり、ベストセラーを書くような、「学者」はあんまりいないんだろう。重厚長大ロシア。日本の教育界もその点は見習って欲しいものだ。

 

最近、陳舜臣の小説を読み始めた。このあいだ逝去されたのがきっかけだが、ずいぶん昔、新聞の連載で読んだ小説が印象的で、ふと思い出したので、図書館で探して読んでいる。抗日運動に関わって、謎の死を遂げた富豪一族の長男の娘が、日本人の養女となって神戸で育って…という話なのだが、ミステリアスなところもあり、また、当時の政治状況なども出てくるので、歴史を知るには、実は小説がその世界に入りやすいのでは、と思わせられる。

 

陳氏は日本で育った台湾人らしく、視点はインターナショナルだが、万事、品格と抑制がきいていて、最近の小説にはない味わいがある。

 

対談集なども読んでいるが、モンゴルについてだが、「パックス・タターリカ」という言葉を知った。いわゆる汗国をつくったタタール人はロシアなどでも弾力的な政治をおこなって他宗教にも寛容だったとはよく言われることだが、こんな言葉まであったとは知らなかった。

 

そういえば、ロシア人といっても、タタールのハンに遠くルーツを持つひとは結構いて、

ラスプーチンを暗殺したユスポフ侯などもそうだし、T翁の先祖にもたしか、なんとかハンがいたはずである。

 

いまさらジンギスカンが出て来るわけはないが、数百年続いてきた主権国家体制や国民国家の概念そのものが、急激に変わりつつある激動期なんだなあ…という感を深くする。

 

たまたま、先週、横浜の中華街に本当に久しぶりに行った。あいにく、雪の日で、ぶらぶら歩きはできなかったが、ちょうど陳舜臣の描く、神戸の南京町のところを読んでいたので、小説の世界に入り込んだかのごとくであった。

 

今は、私の住んでいるところからも、電車の乗り入れによって、一本で行けるのである。

 

中華街では最近、近接する寿町のホームレスの人々に、残った食事の提供をしているという。あまり御飯といっても、中華街だから美味しいだろうな…と、ちょっとこころも暖まる話である。