解毒剤

ようやく暖かくなってきた。ダウンコートや革手袋が少しずつ暑苦しくなってきた今日。

 

昨日から今日にかけて、村上春樹の新作の第一部を読んだ。彼の作品は短編やエッセイぐらいしか読んでいないのだが、オペラの「ドン・ジョバンニ」を連想させるタイトルで何を書いているのか、最近ローマ法皇に辞職させられたマルタ騎士団団長のニュースとは関係ないと思うけど、彼の「無意識」がひょっとして時を先取りしたかも、なんて

思ったのだった。

 

実際は、そういう時事的なことに、もちろんなんの関係もない、画家が主人公で、

戦前ウィーンに留学していたある画伯の一枚の絵が展開する、ナチス時代もリンクしている、なかなか壮大な話である。

 

イデア」というものが、古墳時代の装束の小人のようになって出てくるのには、ちょっと鼻じらむ部分もあったし、深い穴に埋められた古代の鈴が夜毎鳴って、主人公を悩ますところなど、折口の「死者の書」を連想させたりするところはあったりするが、

謎めいた人物が彼に肖像画の依頼をするあたりなどは、ゴシック小説の怖さや語り口の妙味があって、読者を引っ張る力はたしかにすごい。読み出したら止められない。

 

が、すべての彼の小説がそうだというわけではなく、「ねじまき鳥クロニクル」とかは、何度も投げ出しそうになった。

 

この先どうなるのか、第2部を読んでみないとわからないが、第1部にすでに出ているナチスオーストリア併合時の話が展開していくのだろうか。

 

明らかに、彼の政治的、且つ、歴史に対する認識を盛り込む意図で書かれていると思うが、とはいえ、超常現象である夜毎の鈴の音に対する画家の恐怖などは、作者が「不安」というものをすこぶるよく理解していることを示している。

 

夢と現実が交錯しているような小説はいくらもあるが、彼の小説の特徴はそれが非常な

リアリティを持っていることだ。おそらく、彼もそういう体験を少なからずしているのではないかと思う。

 

だから、小説としての妙味とは別に、そういった、現実や認識の不安定さ、つまり、

やはり夜毎の夢にひどく悩まされている私にとっては、それらをしかしけっして重々しくは書かない、彼のスタイルは、一種の解毒剤になったような気がする。

 

この小説の設定は、ありえないような人が出てきたりして特殊だが、主人公の抱える不安は、現代に生きる人なら常に感じるような、通奏低音のような不安感だと思う。

 

村上春樹の人気の理由がなんとなくわかったような気がした。とともに、このあいだのサリンジャーもそうだけど、優れた芸術作品は、卓越したセラピストのようなものだな、と感じた。