香りと霊感

今年の冬はひどく長く感じられる。これほど春を待つ気持ちになる冬もない。今週で2月も終わるので、あとひといきというところなのだが、これは孤独のうちに暮らすことから、よけい長く感じるのだろう。もちろん、その厳しさのなかから学ぶことも多い。けっして「群れない」こと、自分の判断で行動することなど。

 

このあいだから、帝政ロシアの香水産業について読んでいる。シャネルNo.5の調香師がロシア人だとは聞いていたけれど、シャネルの愛人のひとりにドミトリー大公がいたからだろう、ぐらにしか思っていなかったが、もともとはフランス系の家系の、調香師エルネスト・ボーがロシアの有名香水会社ラレ社で活躍していたときに創った、ラレNo.1というのがシャネルNo.5の前身になるのだという。

 

そのNo.1はそもそも、1913年、ロマノフ王朝300年記念の際に「ブーケ・ド・カトリーヌ」という名前でエカテリーナ女帝を記念してつくられた香りなのであった。

 

そうだと知ると、ロマノフ家の変転、運命のようなものが、シャネルNo.5のあのクリスタルボトルの向こうにたゆたって透けてみえるようでもある。黄金色の波。時と運命。

 

ボーは天才調香師として、多くの名香を生んだが、1913年のこの「カトリーヌ」の栄光をピークとするがごとく、14年の第一次大戦、17年のロシア革命勃発と、突然栄光の未来が閉ざされ、断絶し、香水会社は革命軍に没収され、ボー自身も大戦でフランス軍に従軍(ボーは仏国籍だった)、フランス軍の防諜部隊に徴用され、アルハンゲリスク沖のムジユグ島の捕虜収容所長となった。ロシア語が堪能なための任務だったという。秘密警察のような任務だった。

 

ボーは「死の収容所」があるこの島で革命と内戦によるロシアの崩壊を見、さらにロシア時代における仕事も財産もすべて失い、フランスへと引き揚げた。

 

軍務についていたこの北の島では、さまざまな花が百花繚乱で白夜に香り、それがすべてを失ったボーにとって、忘れがたい印象を残した。その白夜の花々の記憶が、シャネルN0.5に結実したというのは、なかば伝説的に有名な話となっている。

 

もうひとつ、私が興味深かったのは、ボーがフランスでの円熟期につくった「ボワ・デ・ジル」という名香をめぐる話である。ボーはこの香りを「スペードの女王」から着想したのだという。パリ、オペラ座で「スペードの女王」を観賞していたときに、インスピレーションにみまわれ、まだつくってもいないその香りを強烈に一瞬にして感じ取ったのだという。

 

このように、「降りてくる」体験のようなものは作曲家、ブラームスなどが説いているけれども、「香り」にもそれがあるというのが、面白く思われた。

 

プーシキンの「スペードの女王」は、子どものときに、少女向けの文学全集で読んで以来、魅惑的な印象を私に残している。カードの女王のめくばせ…。怖かった…。

 

シャネルNo.5をめぐる話は、ロシアの冬やら、北欧の白夜の百花やら、の世界に私をしばし誘ったのであった。

 

すべてを失ったボーだが天は彼を見捨てず、再びフランスで天才調香師として成功をとげ、ワイン通として、また、ロシア美術のコレクター、白系ロシアのメーソン会員として、活躍したという。

 

ガーデニアの甘い香りが大好きな私は、以前、シャネルの「ガルデニア」が日本で限定発売になったときに、デパートに出かけて、その香りを「聞いて」みたことがあった。

「ガルデニア」も、ボーの調香なのだと、今回知った。

 

名香といえども、調香師の名前はさほど知られない。イコノグラファーではないけれど、

隠れた存在である。けれども、名香の寿命は人間の寿命よりも長いと言えるのではないか。そして、さまざまなドラマの背景になったり、物語の影の主役となったりもする。

 

帝政ロシアの記憶は、香りのなかにこそ、最も命脈をたもっているのかもしれない。

No.5のなかに、ロシアの花々や雪や風、朝焼けや夕暮れ、聖人やユロージヴィたち、またさらにはるか異教の神々までもが、封印されているのかもしれない。