とまどい

午後になって、こちらでも激しい風が吹いている。ベランダの前の桜の葉っぱが、強風のため、葉裏の白っぽい色しか見えないぐらいに。そんななか、用心しながらも、ちょっと買い物に出かけたりもした。私は強い風が好きなのだ。私の生まれたところは、風が強いからかもしれない。

 

ふと、思い出したことがある。なぜなんだろう。台風は悪いことばかりではない。空気を大きく撹乱して、余計なものを削ぎ落とすような、そんな勢いがある。

 

2、3年前だったかの盛夏、神代植物公園のコンサーバトリというか、温室のようなところでのライアーの演奏をぶらりと一人で聞きに行った。場所の設定がいかにもライアーにふさわしく、「いいなあ」と思ったからだった。

 

一部、オリジナル曲の弾き語りがあったと思う。自分の詩をこんな風に竪琴にのせて歌うのっていいなあ、と思った。なんとなくだが、自分でもできそうな。コンサーバトリの周囲に睡蓮の池がめぐらせてあって、とても暑い日だったけれど、小さな睡蓮のいくつかが眠たげに咲いていた。

 

演奏会のあと、園内をぶらぶらして、ダリアや薔薇をあれこれ見て、けれど、暑さのために、花々は生気があまりなかったことを覚えている。お昼をどうしようと考えて、「そうだ、深大寺まで出て、お蕎麦を食べよう」と思いついて、バスに乗った。

 

あのあたりの地理には詳しくないのだけれど、とにかく、深大寺の門前商店街に辿り着き、一番お寺に近い、右側の蕎麦屋に入った。

 

どうも、なんとなく、記憶がある店である。

 

つらつら考えてみると、それから30年以上前、桜の季節の頃だったか、ある日曜日に、教会の友人とこの店に来たことを思い出した。その前に、小金井あたりの修道院を訪ねた記憶もあり、同じ日だったように思う。

 

店は今も変わらない造りで、当時のことがありありと思い出された。日曜日だったことと、場所柄からか、中年の夫婦連れが多く、彼と私はもっとずっと若かったのだが、その卓袱台のようなテーブルを挟んで座っていると、なぜか気恥ずかしいような気持ちがしたのであった。

 

その日私は、その「とまどい」を、鮮やかに思い出した。

 

睡蓮池とライアーのせいなのか、ある炎暑の真昼に、無意識に沈んでいた記憶は、突然甦ったのであった。

 

そうしてまた、その記憶は、風によって吹き寄せられるように、今日また思い出された。