久々の都心

日曜からは一層強い寒気団がやってくるとか。久々に都心に出た。有楽町から丸の内へかけてのお堀に近いあたりは、以前から大きな堅牢なビルが立ち並び、落ち着いた雰囲気だったのだが、最近は銀座がブランドショップばかりになってしまったので、高級感はこちらのほうがある。

 

しかし、Paul SmithとかRoyal Copenhagen(は、数十年前からある)や、ISETAN SALONとかが並んでいても、人が入っている様子はない。どうやってビジネスをしているのだろうか。三菱のあたりに行くと、John MaroonとかCath Kidsonとかの英国ブランドが並んでいて、とくにCathは人でごったがえしていた。

 

 丸の内のこのあたりは、ビジネス街としても一等地。お昼どきなので、道行くひともコートを着ずに買い物に出ており、さりげないが、非常にオシャレ。控え目だが、お金のかかっている服装である。男女とも手入れのよくされた髪や小物が目立つ。

 

階層化社会というのは、ここへ来るとよくわかる。

 

もっとも、もっと上の階層は、不労所得で暮らし、働いたりはしないのだろうが。

 

一方で、先日の軽井沢のバス事故のように、年をとっても働かざるをえず、ブラック企業である会社で働き(それも契約社員)、過酷な条件のもと、命を落とす人もいる。

この運転手さんは、天涯孤独らしく、遺体の引き取り手もないという。

 

私が嫌な気分がしたのは、バス事故で亡くなった若者たちはたしかに気の毒なのだが、

一流企業に就職が決まっていたとか、有名大学の学生でこれからが期待されていたのに、ということばかり、連日報道されることだ。

 

春秋に富まない、たとえば、老人だったら残念ではないのか、あるいは、就職も決まっていないような学生なら気の毒ではないのかとか、揚げ足も取りたくなる。

 

ネットでは「上級国民」と半ば揶揄されてもいる物故者たちだが、たしかに、あと半年すれば、彼ら彼女らは、霞が関や丸の内で働いていていただろう。

 

そして、大学入試センター試験が先の土日にあって、その準備のために、会場になった大学では前日の金曜日が全学休講になった。それで、彼らは木曜の夜からスキーに出かけることにしたのである。

 

会場にならないような、名もない大学は、だから休みにはならなかったのだろう。

 

決して、彼らの死を悼まないのではないが、神様というのはある意味公平なのだな、と思ったりもした。

 

力もあって、恵まれていて、それで傲慢にならないことは実はすごく難しいと思う。

ギリシャの昔から、「ヒュブリス」というのは往々にして神からの災厄を招いていた。キリスト教においても然り。多分、謙虚ということは、運命の鉄槌をかわす強力な力を持っているにちがいない。

 

運命の女神が嫉妬深いとか、絶頂にあるときほど心せよというのは、そういうことなのだろうと思う。