処暑も過ぎて秋風立つ

暑さも峠を越えたのだろうか、朝晩が結構涼しくなってきた。昨晩などは、月明かりの森閑としたなかで、虫の声があちこちから聞こえてきていた。

 

とはいえ、昼間は蝉の大合唱である。それだけでは足らないように、時々蝉のお客さんは家のドアの前までやってきて、じっとしていて、次に見たときはもういなくなっていたりする。なんとなくだが、蝉はメッセージを持ってくるようでもある。

 

家のテーブルと椅子の高さがどうも合わないこともあって、無理がたたったのか、昨日以来、ぎっくり腰のような感じで体を曲げることができず、御殿女中みたいに板のようになって、そろそろ歩いている。ダイニングテーブルの天板の周りに袴のような5センチぐらいのボーダーがついていることが、何かと邪魔で姿勢を悪くしているように思う。

 

処分しようかと思うが、そうすると、また新しいものを買わなければならないし、費用もかかる上に、家具など大きな商品は最近は店頭になく、カタログを見て買うことになるので、今のような失敗につながるという問題もある。

 

昔は、などというと年寄りくさいが、どこの町にも家具屋さんがあって、それなりに在庫商品を置いていて、目で見てたしかめることができたのだった。つい10年ぐらい前まではまだそんなお店があったのだが、IKEAとか無印などの量販店におされて、なくなってしまったのだろう。

 

そういえば、荒物屋というのもなくなって久しいので、ずいぶん以前だが、「じょうご」を買うのに、一苦労したことがある。たまたま見つけた荒物屋にあったのだが、

そこは半分ぐらいはクワとか鎌とか農業用具も扱う、田舎風の店だった。

 

じょうろも壊れてしまったので、代わりが欲しいのだが、それもネットで買うぐらいしかなく、今は500ミリのペットボトルで代用している。

 

スダレなども、スーパーには売っているが、だいたい中国製で、安いのはよいが、軽すぎたり、壊れやすかったりで、選択の余地があまりない。

 

どうでもいいものは街にあふれているが、いざ、生活雑貨を買おうとすると、あれこれ見繕う余地もないし、それ以前に店自体がなかったりするのはとても残念なことだ。

 

 

五十鈴川

f:id:amethystlady:20181103080100j:plain

二見浦

 

今日で猛暑日も最後ということだが、外にいるだけで汗がにじんでくるような、大変な暑さである。

 

昨日は、猫が原一帯が草刈りの日だった。機械を使うので午前中にはあらかた草原は土が見えるようになり、アカツメクサも雑草も何もかもなくなった。

 

午後からは、低木の剪定が始まり、これはさすがに判断もあるので人力で、すっかり見通しがよくなった。

 

草刈りの日程を聞いていたわけではないが、私のPCも数ヶ月前に、容量がいっぱいなので、クラウドのメールが使えなくなります、という案内がきてそのままになっていたので、ダイレクトメールのようなものや、不要な書類を削除するとよいかなと思い、午後じゅうずっと、消去作業をしていた。

 

けれども、かなり捨てたはずだが、空容量ゼロという数字は変わらず、仕方がないので、そのままにしておくことにした。

 

写真はクラウドにリンクさせてないので減らす意味がないが、メールに添付されているものなどが、ひょっとして容量をくっているのかもしれない、と思った。

 

私は特別写真の腕がいいというわけではないが、おともだちを写したものが別のPCから移動させたフォルダに入っていて、ニュアンスがあって、とてもいい写真だと思った。以前の、「伏し目がちの天使」もそうだったけど、写真の技術というより、被写体とのあいだの感情みたいなものが、反映するのだろう。

 

そういえば、二人で撮ったものは一枚だけ伊勢のものがあるが、自分の写真うつりがよくないので、結局おともだちには送っていない。でも、見目はよくないが、ハッピーな感じはとても伝わってくる。

 

おともだちは私にとっては「男」であって、gayっぽいと思ったことは全くないのだが、不思議なことに、意図してとっていない、ある公園でのスナップには、とてもその雰囲気が濃厚だったりする。

 

ファイルを整理していると、捨てられるものとためらうものがあり、「今の自分」がよくわかる。もとの仕事関係のものはただ置きっぱなしになっていただけなのだが、改めて消去してすっきりした。

 

f:id:amethystlady:20080513163816j:plain

 

 

翡翠の蝉

f:id:amethystlady:20170822065419j:plain

 

 

今、これを書いているテーブルの上に、翡翠の蝉のペンダントがある。これはおともだちからの贈り物だが、とても気に入っていて、つけてないときも、デスクの上などに出してある。

 

つけていてもあまり目立たず、大仰でないけれど、目利きのひとにはわかる優れもの。

 

昼間はミンミン蝉の大合唱だが、夕方になると、どこからともなく、カナカナの静かな声が聞こえてきたりする。

 

カナカナが鳴くと、そろそろ秋も近づいているということだろうか。カナカナの音を聞くとなにか深山幽谷にいる心地がする。

 

自分の送っている生活がどこかおかしいような、でも、おかしなのは世の中のような気がするのだが、しかし、世の中で暮らしていくには、これでいいのかなあという感じがしなくもなかったりする。

 

今日はまったく夢を見なかったか、覚えておらず、そういうことは珍しいが、夢がいろいろ教えてくれることは、貴重ではあるが、それが現実と意識界の奇妙に入り混じったところから伝えられるものであるがゆえに、ある意味、私は周囲に対して、ものすごく警戒的で気を許さなくなってしまったことも否めない。

 

残念なのは、人間に対して暖かい気持ちをあまり持てなくなってしまったことだ。

 

結局、それが自分の今の「行き詰まり」を招来しているわけなので、自分が「引き起こしている」といってもよい。

 

それなら、それらを一切ご破算にしてみようと昨晩、ふと思った。実際に何かをするというより、自分の意識をリセットしてみようということである。

 

夢を見なかったのは、きっとそのせいかもしれない。

 

以前、子供たちが引っこ抜いていって、私がまた植え直した低木に、今朝、白い花が咲いていた。

 

 

夜のお客さん

雨模様のすっきりしない日が続く。

 

ここへ来た最初の年は、周りに樹木が多いせいかと思ったが、玄関口に大きな蛾がとまっていてビックリしたり、階段の踊り場や天井に小さな蛾がとまっていたものだった。

 

次の年にはいろいろな猫たちが入れ替わり立ち代りで、猫が原で狩りをしたりしていて、もちろん蛾もないないわけではなかったが、だんだん少なくなったように思った。

 

昨年はもっと少なくなり、猫も前の年とは入れ替わっていた。ときどきだけ来る、茶トラの猫のように、引き続き来ていたものもいたが。

 

2週間ぐらい前には、ベランダに出してある木のベンチの上に、朝、バッタが来ていた。まるで部屋のなかを覗き込んでいるようだった。ときどき、ゆっくりと移動して、小一時間ぐらいはいただろうか。

 

そんな、奇妙な「お客さん」がここにはたくさんいる。昨晩は、ものすごい蝉の鳴き声が洗面所でしたと思い、玄関ドアを開けたときに蝉が飛び込んでどこかに潜んでいたのかと焦って、音の出るところを探し回ったが、どうも玄関ドアの向こう側で鳴いているようだった。轟音といっていいほどの、大きな音で驚いた。

 

夜のstranger。

 

 

 

 

8月15日

8月に入ってから降水のない日は皆無だという今年。ちょうど半月になるわけだが、

カラリと晴れた日がほとんどない。反対に梅雨の頃は晴れた日が多かったのだが、

まったくどうなっているのだろう。

 

昨日、終戦記念日は雨だった。1945年の天皇の戦争終結放送があったときの、どこまでも青い夏の空というのが誰の回想にも出てくるが、私の知る限りでも、昨日のように朝から雨などという終戦記念日はなく、奇妙な気持ちがした。いつもカラリと空は青く、太陽がじりじりと灼けつくように照らすお天気だったのに。

 

一度だけ、十年前ほどに、8月15日に靖国神社に行ったことがある。そのころはまだ普通のひとはこの日に靖国に行くということがあまり一般的ではなかったので、いったいどういう人たちが参拝にいくのだろうという関心もあった。

 

驚いたのは、家族連れとか、ごく普通のひとたちが多数参拝にきていたことだった。迷彩服の男性と、従軍看護婦の制服を着た女性などというカップルもいるにはいたし、

明らかに右翼団体らしき人々も集団でいたりはしたが。遺族という雰囲気でもないので、ちょっと驚いたことだった。

 

当時は、靖国神社についてはとりたてて否定的な意見は持っておらず、軍用犬や軍馬忠霊塔を見て、「可哀想だなあ」と思っていたぐらいであった。

 

しかし今では、戦没者を英霊として祀りあげることには違和感が大きい。日本軍の戦死者は餓死や戦病死が戦闘での戦没を上回るレベルであること、開戦までの経緯はエネルギー封鎖など窮地打開の意図があったとしても、戦前の日本の狂気、社会全体の洗脳は、大陸への進出や満州国の建国、開拓民を見捨てていち早く撤退した関東軍、特攻作戦など、その非人間性は反論のしようがないからだ。

 

8月は戦争に関する番組ばかりが目白押しだが、どれもこれも精神論だけで乗り切ろうという愚かしさに満ちている。今朝は、「震洋」と呼ばれた、戦争末期につくられた特攻水上艇の船体が一部見つかったというのをやっていたが、結局出動はしなかったこの小型漁船みたいな人間魚雷は、なんとベニヤ板でつくった粗末なもので、いわゆる鋼鉄製の人間魚雷(これも片道切符の異常なことではあるが)はまだ合理性があるが、このベニヤの船が多数、千葉の館山に壕を掘って隠してあったのだそうだ。

 

これらは終戦と同時に皆、証拠隠滅のために破壊されたという。

 

昨日は、第二氷川丸という病院船がやはり終戦3日後に姿を消したが、それは舞鶴港の沖合でやはり爆破されたらしい、船体が見つかったという話をやっていた。もともとは、捕縛したオランダ船で、それを病院船に改造して、赤十字の旗を立て、こっそり武器を運んでいたのだという。戦闘で捕獲した船をこのように使うこと自体国際法では違法なのだという。

 

私も、終戦時、やはり証拠隠滅のためにすべて焼き捨てさせられた海軍兵学校の英語の教科書でこっそり持ち出されたものを、リプリントしたものを、いただきもので持っているが、何もかも「なかったことにして消してしまう」というのが、日本人のよくないところだと思う。

 

幸か不幸か、私自身は、いろんなことを絶対に忘れない。今まで、この性格ゆえに悩みも苦労も多いと思っていたが、昨日BBCの記事を読んでいたら、怒りとか憎しみというマイナスと言われる感情は、精神の健康にとって必ずしもマイナスではないというレポートを読んで、目からウロコが落ちたし、納得もした。

http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-40933095

 

巌窟王」ではないが、怒りや憎悪による「復讐」ということは、あながち悪いことではないのではないか。

 

むしろ、そういう感情を抑圧することのほうがよくないという。ただし、恐怖や不安、心配などは、マイナスに働くらしい。ネガティブ感情として、一括しないほうがいいのだろう。

 

昨日は、靖国に首相は私人として玉串を届けさせたとか、国会議員が集団で参拝したとか、また、中国と韓国がこれを批判したとか、あれこれニュースでやっていたが、

議員団の顔を見ても、本当に痛恨の思いで慰霊に行っているひとがどれだけいるだろうか、という気がした。この日に行く、というのが、単なる政治的パフォーマンスに堕しているのである。もし本当に慰霊のためにいくなら、ひとりで静かにひっそりと行けばよい。 靖国はもはや(多分今までも)「みたま」の休らう場所ではないような気がする。

 

それにしても、身元がわからない無名の戦没者(36万7千柱以上)の慰霊の場所である千鳥ヶ淵墓苑が、燦然と巨大な菊の御紋が輝く堂々たる大扉の靖国と比べて、いかにも粗末な建物であるのが嘆かわしい。終戦の日ぐらいしか映されない場所だが、普段に行くと本当に佗しい場所なのである。最初はこれは間違いで、どこかに本物があると思ったぐらいである。

 

千鳥ヶ淵の反対側に建てられた博物館、昭和館が展示のありように揉めて、戦争のころの暮らしの博物館といったなんともつまらない、スカスカの展示になってしまっているが、こんなものを建てるぐらいだったら、千鳥ヶ淵靖国を合体して、宗教色のない国の戦没者墓苑をつくればよいのに、と思うことである。神社や遺族会が黙ってはいないだろうが…。

 

昨日の雨は、英霊に祀り挙げられている人々の、涙ではないだろうか。

 

追悼とか慰霊というのは、本当にいろんな意味で近しい、というひとにしかできないものだと思う。

 

 

 

記憶喪失

このところ、割合涼しい日が続いている。お盆を過ぎると海も波が高くなり、秋の気配があちこちで感じられることだろう。残暑は厳しいとしても。そろそろ鈴虫が鳴き始める…。

 

このブログはおともだち宛に綴っているものだが、おともだちがどうしているかはわからないので、なにを書いたらよいのか、悩ましい。

 

2、3年前にDCのKさんにおともだちの様子を問い合わせて、「わからない」ということでそれっきりになっていたが、6月に突然、最近連絡が来て会いました、といったメールが届いた。

 

体はまあ元気そうだけれど、話の内容に反復が多く、昔のことは覚えているが、いまさっき言ったことを忘れるみたいな、記憶の問題があるみたいです、という内容だった。

 

私とは12月には4時間ぐらい電話で話をしたし、4月にも30分ぐらいは電話で話したことも、ひょっとすると、もう忘れているのかもしれないなあ、と、ふと思った。

 

手紙は残るので、5月末だったか出してみたのだけど、それもどうなったのかはわからない。届かなかったのかもしれないしが、誰からの手紙なのかわからなかったのかもしれない。

 

私が誰かということも、すっかり忘れてしまったのかも…とか思ったり。

 

昔、冗談で、「もし、あなたが記憶喪失になったら、別のひとに”なりすまして”

また、そばに行くから」と、映画「心の旅路」なんかの話をしたものだったが。

 

それが本当になってしまった?

 

お盆休み

そろそろお盆休みも近く、明日11日は山の日という休日で、三連休になるので、そこから続けて休むというひとたちも多いらしい。山の日というのもよくわからない休日である。海の日が最初にできたのだが、それに対応するものということだろうか。

 

休みになる前にと思って午前中に郵便局のATMに行ったのだが、閑散としていた。すでに多くのひとが東京を脱出しているのかもしれない。

 

驚いたのは、郵便局のお盆休みというのがいつからいつまでかなと思い、インターネットで調べたら、まったく通常営業で、お盆の休みというのはとくにない。

 

そういえば近所の商店なども、毎年「いつからいつまで休み」と貼り紙を前もって出していたが、そういうものも見かけない。

 

お盆に帰省するひとや、一斉に休むという習慣もそろそろ風化しつつあるのかもしれない。

 

近所のスーパーでお盆のしつらえに使う飾りなどを売っているのが、唯一お盆が近いことを知らせるものといっていいかも。

 

昨日は今年一番の暑さということだったが、こう破格に暑い日が続くと、さすがに体力が落ちていて、ちょっと出かけて戻ってくると、ぐったりしてしまう。夏は涼しい家にいるのが一番だ。

 

貼り紙といえば、昔見て笑ったものを思い出した。お盆休みのころだったか、焼き鳥屋の入口に「身勝手ですが、◯◯から◯◯までお休みします」という紙が貼ってあった。「勝手ながら…」という文言がアタマにあったけれど、出てこなくてこれになったのだろう。