8月15日

8月に入ってから降水のない日は皆無だという今年。ちょうど半月になるわけだが、

カラリと晴れた日がほとんどない。反対に梅雨の頃は晴れた日が多かったのだが、

まったくどうなっているのだろう。

 

昨日、終戦記念日は雨だった。1945年の天皇の戦争終結放送があったときの、どこまでも青い夏の空というのが誰の回想にも出てくるが、私の知る限りでも、昨日のように朝から雨などという終戦記念日はなく、奇妙な気持ちがした。いつもカラリと空は青く、太陽がじりじりと灼けつくように照らすお天気だったのに。

 

一度だけ、十年前ほどに、8月15日に靖国神社に行ったことがある。そのころはまだ普通のひとはこの日に靖国に行くということがあまり一般的ではなかったので、いったいどういう人たちが参拝にいくのだろうという関心もあった。

 

驚いたのは、家族連れとか、ごく普通のひとたちが多数参拝にきていたことだった。迷彩服の男性と、従軍看護婦の制服を着た女性などというカップルもいるにはいたし、

明らかに右翼団体らしき人々も集団でいたりはしたが。遺族という雰囲気でもないので、ちょっと驚いたことだった。

 

当時は、靖国神社についてはとりたてて否定的な意見は持っておらず、軍用犬や軍馬忠霊塔を見て、「可哀想だなあ」と思っていたぐらいであった。

 

しかし今では、戦没者を英霊として祀りあげることには違和感が大きい。日本軍の戦死者は餓死や戦病死が戦闘での戦没を上回るレベルであること、開戦までの経緯はエネルギー封鎖など窮地打開の意図があったとしても、戦前の日本の狂気、社会全体の洗脳は、大陸への進出や満州国の建国、開拓民を見捨てていち早く撤退した関東軍、特攻作戦など、その非人間性は反論のしようがないからだ。

 

8月は戦争に関する番組ばかりが目白押しだが、どれもこれも精神論だけで乗り切ろうという愚かしさに満ちている。今朝は、「震洋」と呼ばれた、戦争末期につくられた特攻水上艇の船体が一部見つかったというのをやっていたが、結局出動はしなかったこの小型漁船みたいな人間魚雷は、なんとベニヤ板でつくった粗末なもので、いわゆる鋼鉄製の人間魚雷(これも片道切符の異常なことではあるが)はまだ合理性があるが、このベニヤの船が多数、千葉の館山に壕を掘って隠してあったのだそうだ。

 

これらは終戦と同時に皆、証拠隠滅のために破壊されたという。

 

昨日は、第二氷川丸という病院船がやはり終戦3日後に姿を消したが、それは舞鶴港の沖合でやはり爆破されたらしい、船体が見つかったという話をやっていた。もともとは、捕縛したオランダ船で、それを病院船に改造して、赤十字の旗を立て、こっそり武器を運んでいたのだという。戦闘で捕獲した船をこのように使うこと自体国際法では違法なのだという。

 

私も、終戦時、やはり証拠隠滅のためにすべて焼き捨てさせられた海軍兵学校の英語の教科書でこっそり持ち出されたものを、リプリントしたものを、いただきもので持っているが、何もかも「なかったことにして消してしまう」というのが、日本人のよくないところだと思う。

 

幸か不幸か、私自身は、いろんなことを絶対に忘れない。今まで、この性格ゆえに悩みも苦労も多いと思っていたが、昨日BBCの記事を読んでいたら、怒りとか憎しみというマイナスと言われる感情は、精神の健康にとって必ずしもマイナスではないというレポートを読んで、目からウロコが落ちたし、納得もした。

http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-40933095

 

巌窟王」ではないが、怒りや憎悪による「復讐」ということは、あながち悪いことではないのではないか。

 

むしろ、そういう感情を抑圧することのほうがよくないという。ただし、恐怖や不安、心配などは、マイナスに働くらしい。ネガティブ感情として、一括しないほうがいいのだろう。

 

昨日は、靖国に首相は私人として玉串を届けさせたとか、国会議員が集団で参拝したとか、また、中国と韓国がこれを批判したとか、あれこれニュースでやっていたが、

議員団の顔を見ても、本当に痛恨の思いで慰霊に行っているひとがどれだけいるだろうか、という気がした。この日に行く、というのが、単なる政治的パフォーマンスに堕しているのである。もし本当に慰霊のためにいくなら、ひとりで静かにひっそりと行けばよい。 靖国はもはや(多分今までも)「みたま」の休らう場所ではないような気がする。

 

それにしても、身元がわからない無名の戦没者(36万7千柱以上)の慰霊の場所である千鳥ヶ淵墓苑が、燦然と巨大な菊の御紋が輝く堂々たる大扉の靖国と比べて、いかにも粗末な建物であるのが嘆かわしい。終戦の日ぐらいしか映されない場所だが、普段に行くと本当に佗しい場所なのである。最初はこれは間違いで、どこかに本物があると思ったぐらいである。

 

千鳥ヶ淵の反対側に建てられた博物館、昭和館が展示のありように揉めて、戦争のころの暮らしの博物館といったなんともつまらない、スカスカの展示になってしまっているが、こんなものを建てるぐらいだったら、千鳥ヶ淵靖国を合体して、宗教色のない国の戦没者墓苑をつくればよいのに、と思うことである。神社や遺族会が黙ってはいないだろうが…。

 

昨日の雨は、英霊に祀り挙げられている人々の、涙ではないだろうか。

 

追悼とか慰霊というのは、本当にいろんな意味で近しい、というひとにしかできないものだと思う。