二見浦
今日で猛暑日も最後ということだが、外にいるだけで汗がにじんでくるような、大変な暑さである。
昨日は、猫が原一帯が草刈りの日だった。機械を使うので午前中にはあらかた草原は土が見えるようになり、アカツメクサも雑草も何もかもなくなった。
午後からは、低木の剪定が始まり、これはさすがに判断もあるので人力で、すっかり見通しがよくなった。
草刈りの日程を聞いていたわけではないが、私のPCも数ヶ月前に、容量がいっぱいなので、クラウドのメールが使えなくなります、という案内がきてそのままになっていたので、ダイレクトメールのようなものや、不要な書類を削除するとよいかなと思い、午後じゅうずっと、消去作業をしていた。
けれども、かなり捨てたはずだが、空容量ゼロという数字は変わらず、仕方がないので、そのままにしておくことにした。
写真はクラウドにリンクさせてないので減らす意味がないが、メールに添付されているものなどが、ひょっとして容量をくっているのかもしれない、と思った。
私は特別写真の腕がいいというわけではないが、おともだちを写したものが別のPCから移動させたフォルダに入っていて、ニュアンスがあって、とてもいい写真だと思った。以前の、「伏し目がちの天使」もそうだったけど、写真の技術というより、被写体とのあいだの感情みたいなものが、反映するのだろう。
そういえば、二人で撮ったものは一枚だけ伊勢のものがあるが、自分の写真うつりがよくないので、結局おともだちには送っていない。でも、見目はよくないが、ハッピーな感じはとても伝わってくる。
おともだちは私にとっては「男」であって、gayっぽいと思ったことは全くないのだが、不思議なことに、意図してとっていない、ある公園でのスナップには、とてもその雰囲気が濃厚だったりする。
ファイルを整理していると、捨てられるものとためらうものがあり、「今の自分」がよくわかる。もとの仕事関係のものはただ置きっぱなしになっていただけなのだが、改めて消去してすっきりした。