昨日、最後まで選んで残しておいた年賀状や名刺など、そんなにたくさんではないのだが、を断裁して、捨てることにした。そういった表に出るような仕事は多分もうすることがないだろうし、最新で5年ぐらい前のものなので、その間連絡も絶えているわけだし、と。
でも、夢はちょっと保留をつけたようで、親に頼らないでいられるリソースを手放していいのか?みたいな言い方をした。そうか、と思い、もう一度レスキューしようかと思ってもみたのだが、夢は多様なあり方を見せるのか、一方で、「小」という文字を示して、どうしても避けたい人物が寄ってこないように、なるべく目立たなくするのがいい、という言い方をした。
毎度のことだが、混乱してしまったが、もし必要になれば連絡先などだいたい調べればわかるひとたちなので構わないだろうし、そもそもがそれを使ってどれぐらいのことができるだろうか、という気持ちもあるし、その気もないわけである。
それで、家にはシュレッダーがないので、さらに細かくして(時間がかかった)、火曜日のゴミの日に出すことにした。
この処分のなかで一番重要なのが、祖父が書いた私の命名の紙である。この名前が、
どうもいろいろなものを呼び寄せているようなのだ。妹は、この熟語の下のほうが
名前である。ある意味、代替可能なのだ。
私は自分の名前の文字が嫌いなので、別の漢字をあてたり、最近はひらがなに開いて使っている。
このあいだ書いた不気味な夢のあれこれを操っているのは、実はこの「命名者」であることを最近知った。私に寄ってくる不気味な男を追い払えないのかと夢で尋ねると、
「おなまえ」「おなまえ」「おなまえ」と三回言ったのであった。
不気味な男の名前は祖父の名前に、漢字を違えた「仁」をつけたものである。畏れおおく文字違いにしたのだろうが、意図は明白である。
これらのことを夢から知った私は不愉快でたまらなく、いまだに影響力を命名によって行使している祖父(血縁はないが)が腹立たしくてたまらない。
今度は、母が無意識にこの男を呼び寄せているような、ひどいできごとがあった日に、この男除けのつもりで、おともだちの勾玉を掛けて就寝したら、安全どころか、夜中に首が紐で締めたように真っ赤に腫れ上がったので、すぐにはずした。
おともだちからかけてもらった勾玉はもはや「仁」側のシンボルとなってしまったのか、この男に関わっての、私の運命を暗示する「締める」ものになってしまっていたのは本当に恐怖だった。
これは現実界で起こったことではないはずなのだが、夢がいうには、このことは不可逆的なので、以後、Vネックラインになるもの、ネックレスとか着物、洋服でもそういう襟元のラインものを着てはいけない、と。同形のものが、「締めること」を呼び寄せてしまうということらしい。
何も実際にはしていないのに、そんなことがあるのか…と思うのだが、危ないことはしないにこしたことはない。
祖父は今は零落し切った(自業自得なのだが)この内孫、自分のいわば分身を、私の力を借りて再興させようとしているようである。霊界のことは私にはわからないが、そういう影響力というものがあるのだろうかと、半信半疑でもある。しかし、夢が告げるのは、荒んだ男の暴力によって、私が死ぬという悲惨な結果がある。
私は思いっきりの力と祓言葉をとなえながら、命名紙を細かく切った。運命を断ち切るように。