白いノート

2008年におともだちから電話でいろいろ聞いたことをメモした、白いノートがあります。

 

最後のほうには、札幌での会話のメモも少しだけあったりしますが、だいたいは2008年のもの。

 

読み返していますが、だいたい記憶に残っているとはいうものの、はっとする内容も

あちこちにあります。

 

セオリアのこと、living saintsのことなど。

 

そうした隠れた聖人にはずっと関心がありました…。今も…。私の知る範囲の教会の人々にはそういうものはありませんでしたから。

 

体験した話なので、どれもこころに響くもの。10年前の私はいろんなことに目が眩んでいたのかもしれず、我を張っておともだちとたびたびbreak upして、人生や信仰の真実に関わる、深いものをもっと学ぶ機会を自ら潰してしまっていたのだなあ、と思います。

 

2008年の帰国時には、「いろんなことを教えるから」と言っていたおともだち。

 

なにか、自分が特別に選ばれた存在のような、傲慢さに陥っていたのかもしれません。

 

しかし、今は正教会自体には絶対に行けません。行く必要もないでしょうが…。おともだちから聞いたことを文字通りembraceしていれば。

 

ノートを開くと、いろんな思い出が甦って胸が熱くなります。セオリアのところに、その体験は一生離れることなく、これがあれば死んでもいいと思わせるようなものとのこと…。

 

 

おともだちがこのなかで言っていた、自分自身を強く持つ、ということを肝に銘じたいと思います。