台風の影響で蒸し暑く、雨模様の一日。

 

昨日、ラジオでレスピーギの「ローマの松」をたまたま聞いた。私はレスピーギが好きで、以前、「Pavarotti in Concert」と題したLPレコードを持っていた。

 

LPだからもう手元にないのだけど、このなかに、「雪」「雨」「霧」というレスピーギの歌曲が三つ入っていて、そのために買ったものだった。あとはオペラのアリアとかだったと思う。

 

中でも、「雪」(Nevicata)はとても綺麗な曲で、天空を仰いで雪片がひらひらと落ちてくる、めくるめくような宙(そら)の感覚を実によく捉えている美しい曲だ。

 

青山の家で、雪が降った朝などは、よくこの曲をかけていたものだった。

 

レスピーギはオーケストラ曲でも歌曲でも、なにか風景が目に浮かんでくる。ローマの松などだったら、アッピア街道の松とか、街道沿いにあるサンタ・アニェーゼ教会とか、そのそばの、サンタ・コスタンツァ教会とか。あるいは、カミーユ・コローの絵とか。

 

ギリシャコンスタンチノープルに行ったことがない私には、モザイクで有名なこの二つのバジリカを訪れたことは、初期キリスト教美術、ビザンチンと言ってもいいだろうが、に直接触れることができた得難い体験であった。

 

ラジオ番組では解説で、レスピーギが「カタコンベの松」のところで、グレゴリオ聖歌のサンクトゥスの旋律を使っていると言っていたが、実際、カタコンベの時代にグレゴリアンが歌われていたら時代的には変なのだが、イマジネーションの世界では、という意味なのだろう。

 

とはいえ、その解説を聞きながら、それではカタコンベではどんな聖歌が歌われていたのか、とか、いや、歌なんか歌ったら聞こえてしまうからそんなことはしなかったのではないか、とか、いろいろ考えをめぐらせた。

 

もし何かひっそりと歌われていたとしたら、どんな歌だったのだろう。隠れキリシタンオラショとか、ご詠歌のような、ごくごく地味な、低いつぶやき的なものではなかったか。壁には魚の印が描いてあったりして…、

 

アッピア街道沿いでは、噴水で有名なティヴォリのヴィラは行ったのだが、近くにある

ハドリアヌス帝のヴィラ(ヴィラ・アドリアーナ)は行かなかったことが、かえすがえすも残念で、長くそれを後悔していた。が、今となっては、未見でその魅力をとどめておくということも却っていいのかもしれないと思ったりする。

 

永遠の都、ローマ。時が重層になっていることを肌で感じることのできる、世界にただひとつの場所。しかし、おそらく、行かなくても、その感覚がわかるひとはいるだろうし、行ったとしてもわからないひとには決してわからない。