Mother Theresa

例年、クリスマス寒波というぐらい、この季節は世界的に寒いはずなのに、今年は暖かく、調子が狂う。もっとも暑さには強いが、寒さに弱い身にとってはありがたいのだけど。

 

紛争や災害のニュースが多いので、最近はニュースはネットや新聞でヘッドラインをチェックする程度にして、せいぜいラジオで一日一回ぐらい聴くだけにしている。映像の刷り込みの力は大きいからだ。

 

刷り込みといえば、マザー・テレサが近々列聖されるそうだが、マザーに関して、日本の沖さんという写真家が彼女にたいそう信頼されて写真集をいくつも出している。素晴らしい笑顔のシスターたち。

 

が、私がカルカッタのマザーハウスで実際に見たシスターたちは、疲れているのか不機嫌そうな表情で、写真集のような輝く笑顔はなかった。たまたまその時はそうだったのかもしれないが。

 

有名な「死を待つ人の家」は、カーリー女神の寺院を譲り受けたものだが、いくら行倒れと言っても、水で床がびちゃびちゃした石造りの建物で、「流し」みたいなところに病人がたくさん寝かされていて、シスターや欧米人のボランティアが世話をしていた。

 

それに、いかに行倒れといっても、私たちのような観光客がそのあたりを練り歩いて、そういうひとびとの姿を見ていくというのも、ずいぶん失礼な話ではないだろうか。

 

考えてみると、プレハブなどの簡素なものでいいから、もっと清潔で気持ちのよい施設を、あれだけ世界中から寄付を集めたマザーだから、つくることができるはずだ。

 

孤児院も有名だが、ここも、一見してわかる障害を持った赤ん坊がほとんどで、シスターたちもなんとなく表情が暗く、陰惨とまではいかないが、それに近い雰囲気だった。

 

もっとも、私が行ったのは93年ぐらいだったから、その後状況は変わったかもしれないけれども。でも、「慈善」活動にはある種の偽善はいつの時代にもあると思う。(莫大な寄付はたぶんローマの金庫行きか…)

 

結局、メディアというのは、文章にしても、映像、写真にしても、ある部分を切り取っ見せるものだから、主観も入るだろうし、歪曲もあり、本当のところは、実際に行ってみないとわからないと思う。

 

マザー・テレサが「最も貧しいひとに仕えなさい」という神の声を聞いて、修道院をあとにしてカルカッタの街へ出て行った時点では、マザーは間違っていなかったと思う。それがどこでそれていったのだろう。