バス

朝からもう家のなかが暑い。8時になってから観念してエアコンをつけた。昨日は午後だけつけたぐらいで、午前中は家の中はひんやりしていたのだが…。

 

ついに、というべきか、例の支払いの件、交通手段が解決した。

 

市が運営しているミニバスが夢に出てきて、どこかビルの前に停車している。ビルだから繁華街だろう。

 

このバスはなんだろう?と思っていたけれど、これが困っている私への返答なのではないか。市内の6地域ぐらいをそれぞれ循環しているものだが、中央部よりは郊外部分を通っていたりするので、一度ぐらいしか乗ったことがなかった。

 

ルートを調べようと思ったが、「検索」は不可。困ってしまったが、市から送られてくるガイドブックに載ってないか見てみたら、ルートはあった。ただし、ネットにはあがっている詳細な時刻表などはないのだが、それは停留所まで行って調べればよいだろう。

 

1ルートだけ、ここの駅前から、隣の大きな駅を経由して、ずっと郊外を大回りするものがあった。これで行けるはず、と思って、ようやく肩の荷が下りた。来週にクレジットカードの振込先が届いたら早速行ってこようと思う。

 

本数は少ないし、不便そうな感じだが、帰途の便がかなり待つことになっても仕方がない、行けないことに比べれば、である。

 

そういえば、これまでの夢のなかで、追いかけている親族たちは、民間バスの停留所に群がっていたりした。さすがに、この違いはわからなかった…。

 

 

 

 

真昼どき

気温は高め、陽射しが強く真夏のよう。湿度はそんなに高くないのに、冷房を入れないとしのげない日。

 

大きなケヤキ並木を通ったり、また、ちょっと建物の蔭にはいったりと、私の買い物ルートは毎日のように変わる。いろんな危険をその時々で避けて。

 

迂回のためのエレベーターもここ数日は使わなくなった。エレベーターで却って人と乗り合わせることも多くなってきたので、元々の階段に戻した。

 

 

白い石の柱がなくなって、もとあった場所が、強い陽射しをしらじらと跳ね返しているそばを通って、真昼どきに買い物にいった。

 

今日はせっかく梱包した段通の投棄が不首尾だったので、回収して、午前中また新たにもっと小さめに梱包するのに、奮闘していた。厚く、重く、また巻いてもいけないので、苦心惨憺。

 

世界中で私の他にいったい誰がこういうことをしているだろうか…などと考える。

 

口座振替ができなかったので再振替の日時の通知や、請求書が届く。家に来るものといえばそれぐらいだが。

 

いったいどうすればいいのだろうと毎日考える。電車、バスがダメなら徒歩というのもあるけれど、徒歩で遠出することも以前から禁止されているように思う。「ブラブラ歩きをしていると大事なものを食べられてしまう」と夢が言っていた。

 

 

 

 

モノを処分すること、それが自分の「運命」を決定するような「システム」になっていれば、ほんの些細なゴミさえも簡単に捨てられなくなってしまう。しかも、その意味さえわからない。

 

たまたま遭遇する人やモノが同じく、運命の岐路の選択と関わってしまうような濃密な時空に生きていれば、極力人を避け、息をするのさえ憚られる。そんな世界に私は生きている。

 

そうすることだけが、「生き残る」ためのすべだという。

 

ふと、また、前世でいったい何を私はしたのだろう…これほどまでに苦しまなくてはならないとは、という思いが湧いてくる。これは贖罪なのだろうか。

 

拳で自分の胸を打つ。

 

 

なんと書いたらよいのでしょう。事態はますます悪くなっていて、自分でも理解できない範疇でいろいろなことが次々と起こり、どうしようもなくなっています。

 

これまでは意図的に気をつければ危険な目にあわなくてすんだことが、これまでの推定がなりたたない、突然のできごととして降ってきているのです。怖くてたまりません。

 

そうして、おともだちはオカルトめいたことを書くのは嫌かもしれませんが、ほんのちょっとしたこと、たとえば、新しく買った食品のパッケージ、ただの袋なんですが、それがハサミとして機能して、おともだちと私の関係を切っているということが起こっているらしいのです。(パッケージのフタと身がハサミのイメージをとっているらしい)

 

具体的には、これまで処分したものが家に戻ってきて(もちろんヴァーチャル世界での話ですが)、いろんな悪影響をさらに増しているようなのです。

 

ただのゴミだと思い、死んだ虫を捨てたら、それが大きな危険につながりそうになったりと、わけがわからない毎日なのです。

 

そのうえ、「処分」をやめると、おともだちの象徴であるシクラメンも枯れてしまうということで、やめられませんし、鳥の餌ぐらいしか食べていないにもかかわらず、昨日はゆうに20キロぐらいはある段通の玄関マットを梱包しなければなりませんでした。お腹がすいているので、持ち上げるだけでもフラフラしてしまいました。洋服は二人分入るぐらいダブダブしています。

 

そうして、毎晩のように夢に出てくる私自身の死を意味する光景。とくに「本」に関わることがカタストロフに繋がるということらしく、昨晩も飛び起きて、夢に出てきた本棚のあたりの本を全部裏返しにして、白い部分を出したりしましたが、そんなことをしても何の意味もないことは自分がよくわかっています。

 

さらに、今月は光熱費や通信費を支払っていませんから、たぶん7月4日には送電停止とか供給停止になるのではないかと思います。それも、「検索」ができませんから、停止までの詳細な期間はわからないのです。以前調べた40日とか50日で計算すると7月4日になります。

 

もう何をやっても「落とし穴」に落ちる、どこへ行っても地雷を踏む、といった毎日で、ときどき、本当に心細くて泣いています。

 

家の近くにちょっときれいな「白い四角い柱」、何かの石だと思うのですが、長さは50センチぐらいでしょうか、それをいつからともなく、おともだちの象徴のように思って、馴染んでいました。

 

おともだちは夢のなかではだいたい白い衣服を着ていて、和服だったり、長いローブだったり時々に違いますが、とにかく白いものを着ています。

 

それでなんとなく、おともだちのイメージを仮託していたのですが、その柱も、4日の月曜日に突然消えてしまいました。すごくショックで、今でもその前を通ると、胸が痛みます。

 

おともだちが私から取り去られてしまったような…。こころにポッカリ穴が開いています。

 

もうどうしていいかわからないのですが、とにかく体力と手持ちの現金が尽きるまで、

頑張っていくしかありません。

 

というより、おともだち以外の、親族であれ、知り合いであれ、コンタクトをとったりすれば、もうおともだちとの繋がりは切れてしまうだろうことは、予感としてわかっていますから、それは絶対にやれない、たとえ、飢えても、電気を止められても、です。

 

シクラメンは半分ぐらい黄色い葉っぱになってしまい、あれだけ元気だったラヴェンダーも半分ぐらい葉が黄色くなってしまい、枯れた花ばかりで、新しい花穂もついていません。

 

シクラメンはおともだち、ラヴェンダーはおともだちのふるさと、の象徴なのですが。

 

 

 

 

 

 

 

終日雨が降っていた。お天気が悪いと日暮れが早い。

 

もう1年以上続いているイヤーワームだけど、その日によって、あるいは時間によっても、いろいろなメロディーや声質がある。

 

今鳴っているのは、時々聞こえる、細い静かな女性のソロ。単純なモチーフのリピートなのだが、妙にゆっくりしていて、高い声なので、不快ではないものの、ちょっと疲れる。また、静かな部屋にひとりいると、このどこか天上的だけど、茫漠とした声ばかりが響いていて、それが際立ってしまう。

 

もっと軽快な、コーラスっぽいものもあって、私としてはそちらのほうがいいのだけど、そういうわけにはいかないらしい。時には、低いうなり声みたいなものも稀にだが、あったりする。深夜にそれだと、かなり怖かったりする。

 

これらの声はいったいなんなのだろう。言葉がついている感じのときもあるけれど、

はっきりとはわからない。自分の空耳みたいな風にも思えたりする。

 

この2日ほど、ワームたちは時々、「日本へ」「日本へ」と歌っているみたいに思えるのだけど。

 

 

バッグ

なんだか怖いことが多くて、外を歩いていても鳥肌が立つことがあります。怖くて、怖くて、公道でさえも泣きたくなるようなことも…。加えて、ひもじくてひもじくて堪りません。

 

母のことですが、この数年、時々、「バッグを買ってあげようね」と言って、自分でも買えるのに、買ってくれていたことがありました。今は使っていませんけど。

 

バッグというのは財布をいれるものですから、お金の象徴みたいなところがあります。

 

かつて書いたように、私は働いてはいましたが、いわば母の紐付きのお金で都会の自由や余裕を享受していた部分がないとはいえません。

 

今日になって気づいたことは、母の「バッグ」の恩恵を手放さないと、死を招くのだ、と。もちろん原因はそれだけではありませんけど。

 

 

 

先に書いたことは、本当は書きたくなかったことです。わざわざその存在を知らせて、

おともだちの注意をひくことになるかもしれないからです。

 

でも、彼らは預金封鎖などにより私を身動きがとれないようにし、その結果、おともだちと離れてしまえば、私の将来に待っているのは、そんなに遠くないだろう「死」ということです。これは大げさに言っているのではありません。

 

故意にではないでしょうが、甥も、結果的には私を死に追いやる存在のようです。

 

年末の脅威は去ったのだと思っていましたが、甘かったようです。マイナスの要素が複合的に重なってしまって…。

 

夢の中では、hangingを思わせる、ペンダントのようなものは身につけてはいけないと

警告されています。鴨居に洋服など掛けては絶対にいけない、と。

 

思えば、ここに引っ越してきた年かその翌年ごろから、妹が私にまるで犬にやるように、「おまえはこれを食べてればいい」と、プラスチックのトレーに入ったお惣菜、それもほんのわずかか空のものを投げてよこす、という夢をよく見ました。

 

が、いったいなんだろう、彼女の世話になっているわけではないのに、と不思議に思っていましたが、今になって、それがすなわち「親族に絡めとられる」ということであるのがわかってきました。

 

夕方、「彼ら」よけのためにピッタリと閉じてあるカーテンを少し開けて、空や猫が原を見ていました。

 

ふと「ここへ来てから私は本当に不幸だな」という言葉が思わず口をついて出てしまいました。普段はそんな自己憐憫的なことは言わないことにしていますが…。

 

どうして「彼ら」がそこまで残酷になれるのか、なぜ私をそんなにいたぶるのか、私には理解できないことです。