夕立の季節

昨日来、前線のせいで大気の不安定な状態が続いており、昨日の夕方は当地に大雨洪水警報プラス落雷注意報がいきなり出て、1時間ぐらいでまた解除になった。ニュースを見ていたら、渋谷あたりでも夕方局地的な豪雨になったりと、最近の天気は予報さえも難しい、変化の激しさが特徴。雨雲レーダーもよく見るようになった。

 

日曜日に、長らく懸案だった浴室の大掃除をして、ブラシの先にスポンジがついたものが大活躍した。「激おちくん」という名前のスポンジで、表面を削って綺麗にするものなので、タイル貼りにはうってつけ。

 

イヤーワーム」に悩まされてなんとなくの鬱状態が続いているが、掃除のように体をつかって、しかも眼に見える効果や達成感があることをすると、少し気分が爽快になるなあと思った。

 

昨日も食欲がなかったのだが、だからといってレトルトではなく、気をとり直して麻婆豆腐をつくって食べた。これは自分でつくっても美味しいと普段は思うのに、やはりあまりそれを感じなかったが、とにかく全部食べるようにした。そうすると、今朝は少し調子がよいようだ。

 

自分の気分にまかせていると、どんどん下降してしまうので、気をつけて、規則正しくしなくては…と思ったことだった。

 

相変わらず「これから起こるかもしれないこと」を夢で見たりして疲れるのではあるが、これまでの経験から、それが気をつけるべきことではあるが、過剰防衛になっている部分もあるので、冷静な判断をしなくてはと思っている。

 

 

  

 

爽やかに晴れた日で湿度は低く、気持ちがよい。この週末が梅雨前の最後の晴天らしく、活用せよと気象予報士などがおせっかいを言っているが、私も浴室の大々的な掃除をしなくちゃとずっと思いながら、そのままになっている。天井が高いために、伸縮する掃除用具まで買ったのだが…。

 

四六時中曲を変えながら鳴り響く「耳の虫」に悩まされながら毎日を過ごしていると、本当に生きているだけで大変である。

 

海外の新聞記事を読んでいたら、トランス脂肪酸の害悪をといていた教授が、102歳で亡くなったという見出しを見た。なかは見ていないが想像はつく。おそらくトランス脂肪酸をとらない食事を長年実践していたのだろうけれど、その効果は素晴らしいとして、102歳まで生きることが手放しで幸福と礼賛できるかというと、どうだろうか。

 

日本はトランス脂肪酸の規制がまだまだ甘く、私なども、食品の添加物などは細かくよく見ているが、この教授の顔写真と102歳という年齢を見て、普通に暮らす分にはもはやあまり気にしなくても、と考えが変わった。

 

悪魔に魂を売る気はないが、しかし、肉体的精神的苦痛があまりに長く続くと、「これさえなくなればよい」以上に何も望まなくなる。さらに、「これがなおるのなら、なんでもする」「これから解放してくれ」みたいな気分になってしまう。

 

まさかそんなことではないだろうけれど、パウロが主に与えられた「とげ」というのは、こういうものだったのでは、などと考えたり。

 

 

 

 

変化

今日は昼間、30度近くあったようだが、比較的風が爽やかで、しのぎやすかった。

各地ではまだ5月だというのにかき氷が飛ぶように売れているとか。もう皆、真夏の格好をして歩いている。

 

相変わらず「耳の虫」は昼夜を分かたず、うるさくて、そのストレスのせいかどうかはよくわからないが、かなりの抑鬱状態が続いていて、食欲もなく、このまま行ったらクスリ漬けになるのではと心配していたのだが、今日の午後、気分がすっと軽くなって

その鬱状態はとれたようだ。

 

「虫」自体は変わらず鳴いているのだが、抑鬱のほうがむしろ辛かったのだった。

 

食欲がないので、そんなときでも食べる気になるものとして、買い込んだレトルト食品

のなかから、今日は胡麻だれ担々麺スープ(かけご飯用)を、ご飯にかけて食べたのだが、これが結構美味しかった。

 

食欲のないときは、「かけご飯系」にかぎる。そういったレトルトが結構あって、どれもそれなりに美味しい。

 

 なぜか最近は、あれほど好きだったカレーをほとんど食べたくなくなり、このあいだも自分でつくったが、持て余してしまった。

 

漢方のサイトを読んでいると、熱がからだに篭るタイプのひとには、カレーは本当は合わないのだそうで、私もそれに当てはまるのではないかと思う。

 

まだ食べていないのだが、オマール海老のビスクというスープの冷凍製品も冷蔵庫にあって、楽しみにしている。これは前に食べた(飲んだ)ことがあって、かなり美味しい。

 

これら食品を買っているサイトのレビューを見たら、「とても美味しいスープですが、

値段がお高いので、お昼にひとりでこっそり堪能しています」という主婦のリアルな投稿があって、可笑しかった。一人前で500円ぐらいである。たしかに、家族全員だと大変だ。

 

その他に、最近のヒットとしては、行者ニンニクの入った小さな餃子(冷凍製品)があって、これもかなりの美味しさで、しかも、小さいので食欲のあまりないときでも、

加減ができるのがありがたい。

 

そういえば、このあいだ、行者ニンニクとイヌサフランを間違えて食べて亡くなったおばあさんがニュースになっていたが、たしかに写真を見るかぎりでは酷似していて、判別できない。けれど、匂いが違うと思うのだが、どうなんだろう…。

 

今年はタケノコ堀りにいってクマに遭遇というニュースが多い。鈴をつけていても、ダメだということだ。 

 

 

 

 

 

 

 

わかめごはん

週末は晴れて暑くなるといったのに、昨日も今日もさして暑い日ではなかった。最近の天気予報はさっぱり当たらない。こんな短期のものでさえも。

 

相変わらず昼夜をわかたず「イヤーワーム」に悩まされているので、睡眠不足でいつも疲れている。

 

そんなこんなでぼんやりしていたのか、夕方になってもう冷凍したご飯がなくなっていることに気づき、そうめんという気分でもないし…と考えていたら、防災食の「わかめごはん」があることを思い出した。

 

これはアルミのパックのなかにアルファ米が入っていて、別にフリーズドライのわかめが袋にはいって添えられており、お好みの量のわかめが入れられる。

 

お湯で20分、水で60分、注いでジップを閉めておくだけ。なかに水の量を示すラインがひいてあるが、「ごはん」と「おかゆ」と二つのチョイスがあり、さらに、「わかめいり」「わかめなし」にもできるので、結構バリエーションがある、すぐれもの。

 

お米は越後長岡のもので、わかめは、石巻十三浜のもの。震災に遭った漁家5件でたちあげた法人であるそうで、磯の香りがして初めて食べたときからかなり美味しいと思った。防災食としては上出来なのではないかと思う。値段がちょっと高めなのが唯一の難点か。

 

http://www.eco-rice.jp/products/products-top/survival-food/88.html

 

ただし、アルファ米だからか、できあがったものは100グラムといっても結構量が多く、一人前らしいが、ご飯2膳分ぐらいの感じはゆうにある。

 

地震や災害はないことを願うが、そういう場合でも、ただのご飯ではなく、ほんのりわかめの塩味がきいている、美味しいお米を食べると、力も湧いてくるのではないだろうか。それもこれぐらいお腹にしっかりたまる量を。塩味はわかめの量でコントロールできるのである。

 

食欲のないときも、これだけは割合食べられる。お米と磯の香り。それだけでおかずは何もいらないぐらい。なんだか精神的に満足するのである。キャンプしている気分でもある。

 

もうちょっと買い足しておこう。

 

 

 

 

 

家のなかの仕事

昨日、今日と、涼しい日が続く。今日は朝から時折小雨がパラつく。

 

ヒーターなど、冬物の片付けも少しずつ終わり、リサイクルに出す洋服にアイロンをかけたりで家のなかでやることがそれなりにある。

 

防災用に備蓄してあるミネラルウォーターも最近は結構使っているので、補充もしなくてはならない。地震などが最近はないので、どうしても気が緩みがちになっている。

 

ここは樹木が多いので、これからは虫対策に追われる。戸棚を整理したら、自然素材でつくった虫の忌避材が3本も出てきた。引っ越してきた当初は結構虫が多かったので、脅威を感じてスペアを買っておいたのが、二年目にはだんだん減ってきて、さして使わなかったので、溜まってしまったのだった。

 

ゴキブリなども、最近は小さいのが多くなった。私は使わないが強力殺虫剤で死に絶えたり、形態が変化したのだろうか…。明日は買い置きしてあったユーカリを使ったゴキブリよけをセットするつもりである。去年までは「ゴキブリホイホイ」だったのだが。

 

昔ながらの「ゴキブリホイホイ」は家のかたちをしているが、箱の表面に窓からのぞいているゴキブリの絵がかいてある。「ここに入ってもらってつかまえますよ」という意味なのだろうが、嫌いで見るのも嫌というひともたくさんいるはずのゴキブリの絵を外箱に描く、その感覚が理解できない。

 

最近の「ホイホイ」は入り口に(ゴキブリの)「踏み台」というのまでついていて、入りやすいように、工夫をこらしてある。

 

さらに、その踏み台の上に、別添のシール形式の「足拭きマット」というものを貼るのだが、その「マット」には特殊加工がしてあって、足の水分や汚れを吸収して、なかの捕獲用ネバネバへのくっつきをより強固にして逃走を許さないシステムのようである。

 

私はいつも「足拭きマット」をシール台から剥がして貼り付けるときにおかしさをこらえきれない。初めてこれを見たときは、「足を拭くのは誰か」と一瞬考えたぐらいであった。

 

こんな芸の細かいことを考えついて、名付けたひともすごいと思うが。

 

竹のすだれ

昨日に引き続きの酷暑。冷房を入れないととてもではないけれど、やっていけない暑さである。このあいだ買ってきた小窓用のスダレを朝からセットしたりしていた。夏は西日が酷い箇所なのである。

 

すだれは中国製がほとんどでとても安いのだが、当然質は悪い。日本の竹を焼いたものでつくったスダレにしたのだが、部屋の中が良い匂いになった。結局丈夫なのでこのほうが長持ちするはずである。

 

昨日は歩いて7分ぐらいのところにある大きな薬局に行ったのだが、帰り道、あまりの暑さで気分が悪くなり、軽い熱中症だったのかもしれない。スポーツドリンクを買って飲み、しばらく日陰でやすんでから帰宅した。

 

今日も午後3時過ぎに行きつけの駅前のスーパーで買い物をしていたら、救急隊のひとたちが奥にあるオフィス目指して入っていき、誰かお客が熱中症で倒れたようだった。

 

毎日見る夢、それと関連するように起こったりもする自分の周りのできごとなどですっかり神経が参ってしまっていたのがこの10日ほどだろうか。前からあったのだが、それがひどくなったのだった。

 

もう完全に「自分のアタマはおかしい」「いや、そうでもない。これらの夢のあるものは実際に有効な警告だったわけだし」という二つのあいだを行きつ戻りつ煩悶していたので、ほんとうに正気を失いそうだった。葛藤というのが一番辛い。

 

しかし、今でも、自然界などが送ってくるサインみたいなものが、私の過剰解釈でないのか、そうなのかは、判然としない部分がある。

 

が、しかし、この綱渡り的状況にも徐々に慣れてきたようで、よくわからない場合は「棚上げ」にしたりする知恵もついてきた。あと、追い詰められた心理状態になったときは、クスリが有効で、明るく、不安のない心境にもっていってくれることなども、

体得するようになった。

 

「脳内音楽」もレパートリーを変えたりして相変わらずうるさいが、「いつものアレ」ぐらいに聞き流している。

 

今週後半ぐらいからは、少し暑さがおさまるらしいけれど。

 

 

はや酷暑

今日は湿度はそんなに高くないものの、陽射しがもはや「盛夏」のもの。買い物に出かけるのに、サングラスに帽子で家を出たが、それでも眩しく暑いので、さらに日傘をとりにいった。

 

この日傘、晴雨兼用なので便利だろうと思い買ったのだが(夏には夕立とか突然の雨がよくあるので)、携帯用だから当然大きくはなく、防水のツルツルした生地なので、暑苦しい。綿や麻のような自然繊維の涼しさはなく、いまひとつ。兼用というのは、結局どちらにも役に立たないということか。

 

縁がレースになっている黒い綿のパラソルがあるのだけど、10年以上前のもので、当時のもののご多分に漏れずとても重いので、だんだん使わなくなった。

 

カラスに襲われないためには黒いほうがいいかと思っていたが、どうもカラスは学習能力がとても高いので、実は特定の色が嫌いということはないらしい。

 

黒のほうが遮光力も高いだろうと思ってかつて買った黒だったが、今は素材自体に遮光性のあるものを使っているので、白でも薄い色でも構わないわけである。

 

本当は手が空くので帽子のほうが便利なのだが。ベールのついた大きな鍔の帽子だったら一番かもしれないが、そんなものはだいいち売ってないだろうし、だいたい洋服と釣り合いがとれないだろう。

 

しばらく前に、夢のなかで、白いアバーヤというか、布をすっぽりかぶって、目だけ出した女の像があって、どうもそれは自分?のようでもある。

 

不思議な夢だった。