岐路

季節の変化についていけないのか、微熱のつづく日々。

 

だるくてしょうがないが期限がきていたので図書館へ行って本を返却してきた。MIshimaに関する本で比較的新しいものをぱらぱらめくっていたら、「…」と思うことがあった。

 

一つは女性文芸評論家の作品論だが、最終章に、彼が青年のときから繰り返し見て来た「単性生殖」の夢が最晩年にしょっちゅう現われるようになったこと、が書いてあった。あるいは、少年時代の自分と寝る、という夢のことなど。かなり奇妙だ。

 

これらの話しは初耳。夢というのはだいたい異様なものだが、これらはかなり精神分析の対象になりそうな、示唆的な夢である。

 

敗戦ですべての価値が崩壊し、その崩壊から新しい価値を探して生きて行くすべを模索するというのは、当時の知識階層の青年であればほとんど皆多かれ少なかれそうだったと思う。精神分析の小此木氏などの回想でもそうだった。

 

が、Mishimaの場合は、それ以前から、世界は崩壊していて、バラバラのそれをつなぎあわせるのに、非常な苦しみがあったのではないかと、「単性生殖」の夢の話を知って思った。

 

彼は極端に孤独な人格であり、単性生殖は性的なものでもあるかもしれないが、要するに他者と本当の意味でコミュニケーションができない、さらに「生きている実感」を持つのが非常に難しいパーソナリティだったのではないか。

 

Mishimaの小説は必ずしも好きとはいえない。言葉は華麗だし、プロットも巧み、人間の深層をも描いてはいるが、なんだかすべて、「仕組まれた芝居」を見ているような虚しさがある。

 

体を鍛えるのも、現実へなんとかして錘を置こうとしていたのかもしれない。社交的だったようだが、才気があればあるほど、それは虚しくなっていったのではないだろうか。精神病理的に言えば、一種の「離人症」といえるのかもしれない。

 

彼の小説には、「覗き魔」がよく出て来る。文学の世界ではよくあることではあるが、この「覗き」も私にとってはすこぶる違和感があって、たとえば、「豊饒の海」の「語り手」本多が覗き魔だったりするのも、異様である。「午後の曳航」とか、ある奇譚にも「覗き魔」が出て来るらしい。

 

これらは「覗き魔」自体というより、現実感覚を持てない自らを投影しているのではなかろうか。

 

結局、彼の最期というのは、いろんな要因があるだろうし、謀略説も否定できないが、いずれであるにせよ、彼が、他のひとが普通に持っている「生きている」という感覚を自ら血を流して持とうとしたようにも思える。リストカットの大掛かりなもの。

 

昨日読んだもう一冊の本は、ある意味奇怪な本であった。

 

楯の会でMishimaの右腕ともなっていた持丸という人物の夫人が書いたものだが(養子に入ったのか名前は変わっている)、男ばかりの環境のなかでMishimaにかわいがられて、いろんなところへつれていってもらったといったりするという、たわいのない内容だったりして、「ふーん、こんなこともあったんだ」と、文学にはあまり関心がない少女を可愛がったりするのは、Mishimaらしいなあ、と思ったりした。

 

楯の会は途中で問題が起こり、退会する者が結構出て来たということだが、それは、会の立ち上げと密接な関係を持ったある雑誌のメンバーが、雑誌経営の資金に苦慮するようになり、ある右翼の大物に頼ったことから、立ち上げからまったくすべて自分の資金でやってきたMishimaの怒りを招いたということらしい。

 

(その大物というのは田中清玄で、田中については、昭和天皇もある種のコネクションを彼につけていたとどこかで読んだ…)

 

結局、Mishimaはその雑誌と袂を分かち、持丸も当然そうすると思われたが、彼は、楯の会とも雑誌とも別れたという。ある意味楯の会はここでかなりガタガタになったのではないだろうか。つまり、Mishimaの失意とその後の人生の急旋回を招いたのが、間接的だが、このMの行為であったように思える。

 

そうして、死の一ヶ月前、楯の会結成時に「血判書」というものがつくられ、雑誌社にあった事務局がなくなってからMが持っていたらしいが、Mishimaがそれを持って来てくれといって、二人で焼却したのだという。

 

ところが驚いたことに、この本では血判書の写真があるのだが、Mがコピーしたものだという。血判書というのも恐ろしく大時代ではあるが、そうしたものを「コピー」するというのも血書というものの趣旨をねじまげていて、理解不能である。さらにいえば、「証拠あつめ」をしていたみたいでもある。

 

こうして調べていくと、どうもこの夫妻は、「近しいひと」と言われながら、実はbetrayerだったのでは、という印象をもってしまう。

 

豊饒の海の第四作の短さ,唐突さ、筋の破綻というか虚無はその結果なのかもしれない。実際、最近の創作ノートの研究では、まったく別バージョンが当初の構想だったというのであるから。

 

いずれにしても、この本は表紙に楯の会のMishimaの写真を使い、帯に「若いときの自分」を載せていたりすることからしても、既にあきれた本である。

 

しかし、このMの変節というか、そのあたりの事情については、Mishimaの親友の村松剛でさえ、そのあたりをぼかしているらしく、村松もT一教会が力をふるって、学長もとりこまれていたような大学に奉職していたから、圧力がかかっていたのかもしれない。というより、親友の名に値したのか。

 

あらためて、「至誠」をモットーとしていたMishimaの周囲に、「誠」が本当にある人は少なかったのでは、という印象である。

 

ある評論家が週刊誌で、Mishimaの資質が最高に発揮されているのは、初期の「美徳のよろめき」などであって、そうした分野でもっともっと傑作が書けたはずだったのに残念、作家というのは、油が乗り切っているときは「軽い」のだという。「重く」なった

作品は、作家性が内部で衰えてしまったときだといって、チョーサーの「カンタベリー物語」を例に挙げていた。

 

岐れ道に悪魔がいる、という諺は本当かもしれない。