もうどうしてよいかわかりません。おともだちはどんどん遠ざかっていく。でも、絶対におともだちに「ふたごころ」はないし、筆も折ったし、教育などの仕事などもしないことにずっと前に決めています。人間関係も一切断ち切っています。それでもおともだちとのあいだはギクシャクがずっと続いていることで苦しんでいます。

 

このあいだの携帯への電話、本当に悪かったと思っています。眠っていたところを起こされてワームに騙され、おともだちが日本にとって大切なひとという意味だと思って、口伝えをそのまましてしまったのです。

 

本当にひどいことを言ってしまってごめんなさい。何度でも言います。けれど、あれはおともだちと日本の運命が分かち難く結びついていて、おともだちは日本にとって大切なひと、そういう意味に私はとったから伝言したのです。おともだちの多彩な才能と海外経験をもってすれば、これからの日本を救うひとという意味に私は思ったのです。

 

さらに決定的なのは、ワームが「見捨てる伝言」と言ったので、これを言わないとおともだちを見捨てることになると思ったのです。ところが、電話を切ったあとは、「見捨てる伝言」となじられました。それならなぜ夜中に起こしてせっついたのですか。

 

彼らは本当に狡猾です。以前せっつかれてかけた携帯への電話も、時間的に家の留守電は無理といったら携帯へと言ったくせに、そののち態度は豹変し、携帯は危険なのだ、「裏切り電話」と私をなじったのでした。緊急性はないのに命の危険が迫っていると言ったのです。

 

 あの電話以来、悩みがひどく、周りでも、別の女性のところへと不信感から去っていくといったような、オーメンがあります。水の波紋が広がっていく夢を見ました。そのころです、おともだちにもらった流水紋に桜の花が散っている綺麗な線描のハンカチが見当たらなくなったのは…。

 

ずっとだいじにしていたもので、洗った記憶まではあるのですが、収納場所に見当たらないので探し回っていたのですが、水の波紋の夢で、もしかして、あの電話の影響では

ないかと、凍りついたのでした。

 

ずっと昔、2007年ごろでしょうか、桜の枝を大きな川に流すような夢を見ました。

自分でそんなことをするはずがないのにとその時は不思議に思いましたが、この電話のことを指していたのではないかと思います。まだ、ネットで連絡をとりあっているぐらいの2007年か8年のことでした。

 

あの電話は私の誤解とワームの不適切なタイミング、深夜での叩き起こし、切迫口調から起きたことです。

 

彼らとの関係ではもっと慎重であるべきで、口伝えなどのようなことはするべきではありませんでした。言葉があまりにも粗野で失礼でした。

 

本当にごめんなさい。どうしたら、もとの信頼関係に戻れるでしょうか。毎日悩み、薄氷を踏む思いです。体調もすぐれないので伏していがちですが、自分のせいなのでしょうが、ワームが元凶でもあります。昼も夜も翻弄されていて、心身が耗弱しているのです。

 

だからといって、誰にも頼ることももはやできません。あらゆる絆を失ってしまっているからです。

 

どうぞ許してください。以前のような信頼関係を取り戻すために一生懸命努力していきます。どこへも行かず、誰とも会わない私がいったいどうやっておともだちを裏切るというのでしょう。彼らの言うことは狂気じみています。

 

オカルトの世界と絶縁したい、それが今の私の願いですが、親族蹂躙を避けるためにはそれを捨てるリスクもまたあるのも事実なのです…。

今晩もまた、自分の人生から払拭しないとならないものをいろいろ夢に見たような感じがあります。特別に傾倒していたわけではありませんが、たまたまたくさん読んでいたために影響が蓄積しているらしいMISHIMA. 

 

サッカースタジアムの観客席が急な階段の大学の教室のようになっていて、学生服姿の大学生に文庫本を渡される。そこには高級な着物を着た玄人風の中年女性が二人います。学生は、これはMISHIMAのおばあさんが書いたものと言って渡すのですが、名前がペンネームなのか、それとはわかりません。場所は赤坂らしいのですが、文字では熱か坂となっている…。

 

自分でも忘れている古いエピソードが織り込まれていて驚きました。高校生のときに、「事件」のあとだったか、家の知り合いの花柳界の女性が著作を読みたいからと親を通じて頼んできて、たしか「金閣寺」か何か、文庫本を貸したことがありました。

 

赤坂は元の職場の近くですが、MISHIMAの恋人だった女性の実家のお茶屋というか料亭が赤坂ということを2、3年前に知りました。恋人だった女性は今でも夢に彼の腕を見るのだそうですが…。

 

私の年代だと、MISHIMAは大作家というより、雑誌の「an an」などにもよく登場したりする存在で、小説も読んでいましたが、ミーハー的な興味でむしろ見ていたわけですが…。

 

駿河台も、MISHIMAの劇団の稽古場が当初あったところで、場所はどこだかわかりませんが、その意味で教会と因縁浅からず。いろんな配慮から、あそこは「夢」ではずっと禁足地です。

 

こうした、知らないうちに積もってしまったシャドウのようなものを振り払っていくのが、運命を避けるということなのかな、と思います。

 

夢のガイダンスはずっと一貫して、この払拭を言ってきたわけですが、この二ヶ月ほど夢が後退していて、勢力圏が主客転倒していました。それにようやく気づいて、自分を取り戻しつつあるところです。

 

最後に。何度も言っていますけど、私はもうこれからの人生、一切「書く」ことはやめています。これだけは明言しておきたいと思います。それは私に幸福をもたらさないからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここでワームの言うことをたびたび取り上げたことを反省しています。電話の件などがあり、決して私やおともだちにシンパシーがある存在ではないようです。

 

彼らの言うことは棚上げにして、先に書いた自分の夢を考えると、今晩の父母と食事、暴漢が…という夢も、示唆しているのは、まだ実家をどこかに引きずっているから、暴漢別人に狙われるのだと見ることができます。

 

もうひとつの示唆は、私らしい主人公はなぜか白人の女性で、ナイフで刺されそうになっているシーンはヒッチコックの「サイコ」そっくりです。それは、暴力男の狂気があの映画の主人公と酷似していることを示すだけでなく、白人女性である私は、私の「外国かぶれ」を示唆していると感じました。ヒッチコック映画のヒロインは必ずブロンドの白人です。

 

別の夢では、いくつかの外国の風景を描いたバッグのようなものがあり、ベージュ色のボタンが真ん中についていました。これも外国への憧れでしょうし、ベージュは茶色と並んで「ジェラシー」の色です。真ん中にあるのは、まだ臍の緒が切れていないということなのかもしれません。

 

こんなものを早く振りすてないと、暴漢を逃れての引っ越し人生、漂白人生になってしまうという警告なのでしょう。

 

 

 

夜中、もう日付は変わっていますけど、「運命生きる」という大きな声がして、目覚めました。「運命」が「生きる」ほうにあるという意味なのか、それとも「運命」が立ち上がるという意味なのか、運命に服従するほうだと嫌だなあと思うと、そのうちに、「運命変えれる」「運命変えてく」というふうに変わっていきました。「運命逃げてく」とも。「親切伝言」「小さな伝言」が「運命変えてく」と。

 

これはおともだちについて言われたことですが、私も同様のはず。

 

日付が変わる、夜のまだ浅いころに、ひどく怖い夢を見ました。父と母とどこかレストランにいて、怖い男が襲ってくるからと、裏口から逃げるというものです。でも、逃げきれないのか、闘争になり、次のシーンでは、ナイフを持った男がこちらへやってくる…。嫌な気分でまたそのまま眠りましたけど、今の「運命変えてく」の言葉で気持ちを立て直すことができました。

 

そう、運命は避ける、逃げる、変える、ことができるのです。この伝言を絶対に続けていきます。

 

案外ささいなことで運命は変わるのかもしれません。この3日ほど体調が悪かったのですが、昨日甘いものが欲しくなり「砂糖水」をつくって飲んでみたら、驚くほど気持ちが前向きになったのです。食欲も回復したし。

 

結局脳にブドウ糖が足りず、鬱状態になっていたのではないかと。ささいなことがひどく気になったり、悲観的になっていたのですが、砂糖水を飲んだら、「なんでも来い」というような気持ちになったのには驚きました。こんなこともあるのです。

 

 

 

 

 

おともだちのアクセスが1でずっと続いていたけれど、何か疑惑か問題を招くようなことを私がしたのかしら…と悩んでいます。

 

午前中に瞑想したときに、このあいだの二人の写真が浮かんできて、二人が近づいたり離れたりしている有様がイメージとして浮かび、今はこんな状態なのかしら…と不安になったということがありました。

 

それで、瞑想は私の不安が投影されたものかもしれないので、あまり気にしないほうがよい、瞑想するのも止めたほうがいいかもしれないと思いましたが、こうした「原像」は案外本質を示していると私は経験的に思っているので、気をつけなければならないなと再び思い直しました。

 

いつもいつも、「ふたごころ」はないと私は言っていますし、もちろんそれはないのですが、無意識の世界でどこかを彷徨っていたのかもしれません。

 

家のあがりかまちとか、入り口に気をつけるよう、たびたび警告があるのです。なんでこんなにしつこいのかと思うぐらいに。もちろん絶対に人はあげていないし、郵便でさえも受け取らないのですが、私の無意識が危なっかしく思われるのかもしれません。

 

多分今体調がよくないので、いろいろ不安に思っているからなのでしょう。結局受け取れないままの保険証を受け取りにいこうかなどと考えていたら、どこからかわかりませんが電話が鳴り、もちろんとりませんでしたけど、そうした「意識」が外部の侵入を招くのだと思います。

 

これからはさらに気をつけようと思いますので、どうぞ機嫌を直していただけませんか。怒らないでください。信じてください。

おともだちとの間を振り返ってみると、本当に申し訳ないと思う気持ちでいっぱいです。口はばったくも「二人が一緒になれば」と今更のように言っていますけれど、

2009年の夏前だったか、おともだちの言葉を誤解して私が怒ったことがあり、おともだちからはすぐに謝罪の連絡があったにもかかわらず、我を張り続けたということがありました。

 

あのときはおともだちが素直に気持ちを伝えたにもかかわらず、私は怒りにまかせて自分の解釈で目が見えなくなっていたのでした。ずっとあとで、それは違う意味で言われたのだということがわかったのですが…。

 

それでも、その年はなんとか「お迎え」に行くことができました。おともだちに会えて、本当に幸せでした。あの公園を一緒に歩くことはもう二度とないと思っていたので、まるで夢のようでした。今もあの時の感激は忘れません。

 

その一件のように、私には自分が真実だと思いこんだことにむやみと固執する一方で、とても言葉足らずのところがあるのです。そのときも「それはどういうことなの?」と一言訊ねれば、誤解は解けるはずのことだったのに…。肝心のところでいつも言葉が足りないのです。そして一方的に断定してしまったりと。

 

言い訳のようですけど、この気短かに即断してしまい、コミュニケーションがうまくできないところが実は私の最大の欠点で、しかも、一見そんな風には見えないので、ますます誤解を生んでしまうというところがあります。ひどく不器用なのです。

 

その上に我を張る性格が災いして、これまでも、おともだちからの歩み寄りや暗黙のサジェスチョンがあったときにそれを応ぜず、せっかくの機会を結果的に自ら壊してきたことが少なからずありました。2年前の夏にせっかく久々に連絡をもらったというのに…。

 

振り返ると、後悔ばかりが残ります。自分の今の境涯を嘆いてばかりいますが、それは自ら撒いた種でもあるのです。

 

これからは、そうした自分の性格をよく心得て、「足りない言葉」、気持ちをフォローするような言葉をもっと増やし、一方で、振り回す持論みたいなものを捨てていきたいと心から思っているのです。

 

 

私の失敗や不首尾がいろいろあって、本当におともだちには迷惑をかけてしまい、たびたび不愉快な思いをさせてしまいました。こころから申し訳なく思っています。でも信じて欲しいのは、最初に、日中戦争のメッセージを告げたときに書いたように、私はおともだちが悲劇的な事件に巻き込まれないこと、それだけを願っているのです。

 

ワーム情報に振り回されて愚かな行動が多々あり、それは猛省していますが、私自身がおともだちの安全と幸福を常に願っていることにはまったく嘘偽りはありません。

 

今朝は、いろんな夢を見ましたけれど、おともだち独立戦争に関わっており、そこでの精神的支柱になっているようですが、その「独立戦線」は貧困の惨状を示しています。

 

一方で私は、おともだちを失って、子供達の世話をしている福祉職にあるのか、そのなかで、常に暴力男の影があって、あちらこちら逃げまどって引っ越しを繰り返しています。

 

それらの舞台は東北のようですが、日本のどこでもありうるのかと思います。

 

自分で言うのはおかしいかもしれませんが、私たち二人が一緒になれば、こういう人生ではなく、実り豊かで平穏な「普通の人生」を送ることもできるのです。おともだちの人生の本来の姿は、戦争や悲劇ではなくて、豊かな実りに象徴されるものなのだと思います。私も同様です。

 

どうか私を信じてください。私の不首尾があって、いろんな誤解を生じさせてしまっていますが、私のこころはずっとおともだちに「忠実」です。10年前にご実家の二階の部屋で早朝私が自分に誓ったように。